第70回河川探訪シリーズ・新川編Part2
(平成29年10月7日(土)天気:晴れ) (33名参加)
下見・平成29年9月2日(土)歩数:30,750歩 (9名参加)
★コース:
スタート−9:00・名鉄上小田井駅→新川→二子中央公園→万渓寺→治水碑→神明公園→尾張神社→小針公園→
→天神社→妙林寺→小牧駅(15Km)
★コースマップ(PDF) ★『解説』欄へ ★H23.4.9HP合瀬川編p2参照(古池内)★式内尾張神社
★「尾張神社関連用語解説」
名鉄・上小田井駅(南口)n70004 |
新川に出る 005 |
新川を遡上する n70006 |
対岸では汚水処理場の工事 007 |
新川 Top |
|
汚水処理場の工事現場 n70008 |
北名古屋市出身の稲葉選手ふるさと広場() 010 |
万渓寺山門 n70013 |
万渓寺本堂 017 |
万渓寺境内の日中戦争・太平洋戦争における 戦死者の鎮魂の碑(平成13年) n70015 |
水埜士惇君(尾張藩士)の治水碑060 庄内川治水事業の功績を後世に伝える為に28ヶ村の有志に より文政2年(1819)建てられた。 019 |
尾張藩士の水埜士惇が普請奉行として庄内川治水 事業を予定を上回る多額の工事費で完成させた。n70020 |
右上:庄内川方面、左上:合瀬川、右下(新川) 合流点064 021 |
神明公園案内図(右下茶色が航空館boon) n70029 |
三菱重工の工場(展望台から) 031 |
ちびっこ広場(神明公園) n70032 |
航空館boon館内の展示 n70035 |
館内の展示(三菱MU-2A 3号機(S38年製)) n70038 |
展望台から大山川方面(地下へ潜る)を展望 039 |
名古屋空港を展望 n70040 |
尾張神社 043 |
尾張神社 n70044 |
尾張名称発祥の地の案内 048 |
小針公園へ n70052 |
展望台の方位盤(名古屋空港からの直行便) 053 |
空港を展望する n70057 |
空港から飛び立つ飛行機 058 |
天神社にある覚明霊神顕彰碑 n70062 |
覚明霊神顕彰碑 064 |
大山川を遡上する(支流の外堀川) n70068 |
妙林寺へ 072 |
妙林寺の大黒さん n70073 |
小牧駅に到着 076 |
『解説』 ★コースマップ(PDF) Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★上小田井駅 Top 上小田井駅(かみおたいえき)は、愛知県名古屋市西区貴生町にある、名古屋鉄道(名鉄)と名古屋市営地下鉄 の駅である。2社局の共同使用駅であり、名鉄が管理している。manacaが利用できる。 当駅は、名鉄の乗車券確認システムが導入されている(小牧線・上飯田線の上飯田駅は名鉄管理駅でありながら 同システムが非導入となっている)。駅番号は名古屋市営地下鉄がT01、名古屋鉄道がIY03。 名鉄が西春日井郡西春町(現北名古屋市)で営業していた平田橋駅(ひらたばしえき)が当駅の前身にあたる。 地下鉄鶴舞線の延伸・相互直通に先立って、1991年に名古屋市内へ移転し、上小田井駅として新たに開業した。 Top |
★新川(川の名前を調べる地図参照) Top Top 「新川」(wikipedia)(延長:27 km) 新川(しんかわ)は、愛知県名古屋市とその周辺を流れる庄内川水系の河川。江戸時代に開削された人工河川で、それまで庄内川 に流れ込んでいた複数の川の水を名古屋西部からそらし、増水時には、新川洗堰を通じて庄内川の水を迂回させる目的で作られた。 一級河川であるが、平成18年1月に特定都市河川にも指定されていて新川洗堰とともに、愛知県が管理を受託している。 愛知県名古屋市北区、西区と北名古屋市境界の地蔵川と洗堰の合流点から下流が新川である。清須市、あま市、大治町を通って 名古屋市中川区で伊勢湾に注ぐ。基本的に庄内川の西側に沿って流れており、中流の豊公橋付近・河口付近では隣り合っている。 所々で屈曲している自然河川の庄内川とは対照的に、人工河川である新川はほぼ直線で河口まで通じている。 途中で合瀬川(木津用水)、五条川等の多数の小河川を集めている。 上流・下流部は住宅地帯、中流には工場地帯も点在している江戸時代のこの地帯は、庄内川に一気に中小河川の水が流れ込み洪水 の常習地で、名古屋の城下町はたびたび被害を受けた。 これらの中小河川の水が庄内川に集まりすぎるのを防ぐために、人工河川(運河・放水路・バイパス)として掘削されたのが新川である。 幕府から援助を受け、尾張藩と地元農民が協力して完成した河川である。 ★参考:新川の治水対策 Top |
★二子中央公園 (愛知県北名古屋市二子屋敷) Top Top
|
★治水碑(〒481-0012/愛知県北名古屋市久地野160-1) Top昔々のこと。庄内川は雨が降ると、すぐに洪水になり、師勝や西春、新川など庄内川沿いの町や村は 洪水の被害が絶えませんでした。 そこで安永8年、時の勘定奉行、水野千之右衛門は尾張藩主の命令のもと、普請奉行として庄内川の洪水 を防ぐ工事にとりかかりました。 しかし、いざ工事になると、予定していた工事費をはるかに上回る大金が必要であることが判明。 千之右衛門はどうしたものかと悩みましたが尊い人命を守るためなら仕方がないと決心し、重罪を覚悟 で工事を続行。その後工事は無事に完成し、新しく「新川」と名付けられた川が誕生しました。 案の定、千之右衛門は大金を使った責任を問われましたが、千之右衛門のお陰で庄内川の洪水が少なく なり軽い罪で済んだそうです。 治水碑はその千之右衛門の功績を長く後世に伝えるために建てられたもので碑にも「水埜士惇君治水碑」 と書かれています。 (★北名古屋市・史跡、文化財3、水埜士惇君冶水碑) Top |
★尾張神社(WEB) Top尾張神社(おばりじんじゃ)は、愛知県小牧市にある神社である。式内社の論社で、社格は旧郷社。 「祭神」:●天香山命(あめのかぐやまのみこと)、●誉田別命(ほむたわけのみこと=十五代応神天皇)、 ●大名持命(おおな もちのみこと=大名持命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名) 「由緒」:創建は不詳。伝承によればこの地域は、古墳時代に豪族の尾張氏が開拓したと言われている。 この辺りの旧地名は「尾張村」であり、それはこの尾張氏に由来すると見られている。 またこの「尾張」と言う地名が、愛知県の旧国名である「尾張国」の由来になっていると言う説があり、 昭和15年(1940年)には、この地の青年団が「尾張名称発源之地」と掘られた石碑を、鳥居の横に建て ている。(wikipedia参照)Top |
★小針公園 (愛知県小牧市小針二丁目548番地) Top県営名古屋空港の北側、小牧市の「エアフロントオアシス」に隣接した公園です。 小針公園へのルートは、国道41号線から県道166号線に入りしばらく進んだ、第2老人福祉センター 「小針の郷」の隣。駐車場はそれ程広くはありません。 仕事中の休憩に積極的に利用している会社員の方が多いみたいで、私が行った日も公園内で遊んで いる人は私たち以外いなかったのに駐車場はそこそこ埋まっているという不思議な状況でした。 小牧市のエアフロントオアシスということで、飛行機が何便か飛んでくるかなと期待してたんです が、ほとんどの旅客機の離着陸がセントレア発着になった今、上空を飛行していくのは自衛隊の 飛行機ばかりでしたね(といってもそれはそれで迫力ありましたが)※(小針公園Web) |
★妙林寺(愛知県小牧市中央6丁目272番地)(wikipedia) Top 愛知県小牧市にある日蓮宗の寺院で、山号は法栄山。創建は15世紀初頭の室町時代。開基は法孫日珍上人。 日本一の大きさを誇る"鐘つき大黒天"の石像があることで有名。昭和59年に大黒天の石像を祀って以来、 大黒天の総本山はあくまでも自称であり総本山としての歴史的根拠は無い。 大黒天像の大きさでは妙義山 中之嶽神社の大黒天が高さ20mを誇る。旧本山は名古屋本遠寺。 Top (★詳細web参照) Top |
★大山川(wikipedia) Top大山川(おおやまがわ)は、愛知県の主に小牧市および西春日井郡豊山町を流れる庄内川水系の一級河川。 「地理」 愛知県小牧市東部の丘陵地帯にある砂防ダム、鰻谷ダムに源を発する。小牧市東部を横断するように流れ、 5つの川(道木川、池下川、新造川、新川、花塚川)が合流する。 小牧市中南部では、新木津用水が交差する。春日井市を経て再び小牧市西南部へと入り、2つの川 (池田川、西行堂川)が合流する。西春日井郡豊山町では新境川を合わせ、北名古屋市南部と名古屋市北区 との境で、合瀬川に合流する。 源流付近では、周辺住民によりホタルが飼育されており、毎年6月頃のホタルが飛散する時期には、それに ちなんだお祭りが行なわれている。またホタルに関連した公園が川沿いに整備されている。 小牧市内の川沿いには田園が広がる中、工場も多く点在する。 Top Top ★「外堀川」 Top 川名の由来:外堀川 そとぼりがわ(大山川支流) 2016.05.30 <北外山入鹿新田> 川名の由来 旧)二重堀村の外側に造られたことを表現した川名と推察される。 川の概要 薬師川に架かる「新金井戸橋」辺りを始点に「北外山入鹿新田」地内を南流し「不発橋」辺りで大山川 に注ぐ一級河川。 |
★小牧駅(wikipedia) Top 所在地:愛知県小牧市中央一丁目260 駅番号: KM 06 (名古屋鉄道) 所属路線:小牧線 キロ程:9.8km(上飯田起点) 駅構造:地下駅 ホーム:2面3線 乗降人員:-統計年度- 10,430人/日(-2015年-) 開業年月日:1920年(大正9年)9月23日 「備考」 1989年地下化 小牧駅(こまきえき)は、愛知県小牧市中央一丁目にある名古屋鉄道(名鉄)小牧線の駅。駅番号はKM06。 なお、名古屋飛行場(小牧空港)へは当駅ではなく、名鉄犬山線の西春駅が最寄り駅である。 Top |
★式内尾張神社 Top ★『解読の試み』(未完) −−−−−−−−−−− 尾張神社(おばりじんじゃ) 「北里村史」北里村30周年記念会 編集発行 昭和11年9月24日 第1項 郷 社 式内尾張神社 大字小針(おばり)字宮浦41番地にあり、 天香山命(あめのかぐやまのみこと)天香語山命とも表記される。 大名持命(おおな もちのみこと=大名持命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名)誉田別命 (ほむたわけのみこと=十五代応神天皇)を祀(まつ)れる郷社にして、創始詳(つまびらか) ならざれ共、延喜式神名帳に「山田郡尾張神社」、本国神名帳に「従三位尾張天神」とある宮社なり、 更に神祇寶典に「尾張連之上祖天香語山命也(おわりむらじのかみそはあめのかぐやまのみことなり)、 按社説、配?享大己貴命(おおなむちのみこと)天香語山命?者、小針田連等祖神也」といい、 又姓氏録に「小針田連者(おわりだむらじは)伊香我色雄命(いかがしこおのみこと)(の)後也、 色雄命(しこおのみこと)其先(は)出自?天香語山命?」と云へり、又天孫本紀に此命開化御宇為?大臣?と あり、而して続日本紀には「○○天皇神○慶雲2年12月甲子尾張国山田郡人、従六位下 小針田連(むらじ)○等八人賜?姓尾張宿彌?、傳云、桓武天皇延暦中建社按小針村者旧尾張村而尾張 所以号?尾張?者、○此地○、凡往古此社近郷者、遺?祭器?処○、今田聞称?土器田及鏡田○頭油田?地、 其名尚存、又社南有称?末武千興之田?傳言、政所之旧跡也、とありて、實に古代の鎮座たりしこと 疑うべからず、此の神社の付近には今禰宜殿畑、政所、土器田、鏡田、一色畑等の字名あり、 禰宜殿畑は尾張神社神主長門守の死せし跡なりと云い、政所は政所の跡なりという、 又土器田及鏡田は古代此の地より土器其の他の神器を○進したるものにして、これらを製作したる跡なり と称し、一色畑は刀剣鍛冶の居住せし跡なりと云う、 今も尚一色畑付近より鉄渣を掘り出すことあり。 当神社は明治5年郷社に列格せられ、郷社部落なるものありしが今はこの事なし、然れども部落民集合 して毎年大祓の神事を此の神社において行うを例とす。 境内737坪ありて、老松枝を交え、古色蒼然たる神域なり、中に神殿、拝殿、祭文殿、渡殿、 社務所等あり、境内神社に粟田神社あり。 例祭は10月23日にて、大正7年11月22日神○幣○料供進神社に指定せらる。 大正3年3月御大典記念事業として拝殿を新築したり。 ちなみに古老の言によれば粟田神社森浦に鎮座ましませし頃は、例祭には御輿行われしと云う。 |
★尾張村 Top |
「尾張神社関連用語解説」 Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1、尾張神社(おわりじんじゃ・・尾張氏発祥の地) 所在地 愛知県小牧市小針二丁目 尾張神社は、「尾張」の名称を持っていて、かつ、延喜式神名帳に登載されている、いわゆる式内社の一つ。 「尾張名稱発源之地」碑 小針は、尾張名称発源の地と言い伝えられている。江戸時代に尾張藩が編纂した『尾張符誌』によれば、 小針村は、古くは尾張村であって、尾張の名称はこの地から起こったとしている。 『尾張志』によれば、 小針は、古代には「小冶田」、「小墾」、「尾冶」とも書いたという。 小針の中心に「尾張神社」があるが、 この周辺には、古墳時代を中心とする遺物散布地が濃密に分布していて、小針には、早くから大規模な集落が 営まれていたと考えられる。また、かって土器田・鏡田・一色畑・政所などの地名が存在しており、古代社会 の存在を物語るものと言われている。 「尾張名稱発源之地」の石柱碑は、昭和十五年十一月に北里村青年団の献金によって建立されたものである。 平成十五年八月 小牧市教育委員会 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−Top 主神は天香山命(あめのかぐやまのみこと。天香語山命とも表記される。)で、天火明命 (あまのほあかりのみこと)と天道日女命(あめのみちひめのみこと)の間に生まれた御子である。 普通はこの御子が尾張氏の祖とされる。天香語山命は高倉下命(たかくらじのみこと)ともいわれている。 相殿として、誉田別命(ほむたわけのみこと)と大名持命(おおなもちのみこと)の二神が祀られている。 誉田別命は十五代応神天皇であり、大名持命は 大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−Top 2、「天香山命」(あめ(ま)のかぐやまのみこと) 天香山命(あめのかぐやまのみこと/あまの-)は、日本の神である。「天香語山命」、「天賀吾山命」等 とも書かれるため、「あめ(ま)のかごやまのみこと」とも読む。 『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神である饒速日尊(天火明命)と、天道日女命 (あめのみちひめ-)との間に生まれた神(天照太神の曾孫神)で、尾張氏等の祖神とされ、物部氏等の 祖神である宇摩志摩治命(うましまぢ-)とは母神を異にする兄弟神となっている。 『新撰姓氏録』にも見え、後裔氏族として尾張氏(左京神別等)を始め、伊福部氏(左京神別下)・ 六人部氏(山城神別)・津守氏(摂津神別)等を挙げている。 『先代旧事本紀』の「天神本紀」には、饒速日尊の天孫降臨に従った32柱の1柱に数えられ、 「天孫本紀」では、紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市が比定地になっている)に住み、別名を 「手栗彦命(たくりひこ-)」、または「高倉下命」というとあり、以下『記紀』に載せる「高倉下」の 伝承と同じ内容を記す(詳しくは高倉下を参照)。 また、新潟県の彌彦神社の社伝に、神武天皇の大和国平定後、勅命を受け越国を平定、開拓に従事したと 伝える(詳しくは彌彦神社を参照)。Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 3、大名持命(おおな もちのみこと) 大名持命は 大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名である。 大国主(おおくにぬし)は、『古事記』『日本書紀』に登場する日本神話の神である。国津神の代表的な 神だが、天孫降臨で天津神に国土を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれる。 出雲大社の祭神。(天津神の主宰神である天照大神に対し、国津神の主宰神とされる。)Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 4、誉田別命(ほむたわけのみこと)=応神天皇の諱 応神天皇は、第15代天皇。諱は誉田別尊、誉田別命、大鞆和気命。誉田天皇、胎中天皇とも称される。 ?坂皇子と忍熊皇子は異母兄にあたる。 誉田別尊は、母の神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅へ渡ったときに身篭っていたことから「胎中天皇」 などと呼ばれる。出産した場所は筑紫の宇美といわれ今でもその地に宇彌神社がある。仲哀九年のこと である。 神功皇后と胎中天皇一行は三韓征伐後、九州から瀬戸内海を東へと進み大阪湾に入り大和を目指したが、 留守役の異母兄弟である香坂王・忍熊王に大和入りを阻まれた。 なぜか香坂王は猪に喰われてしまい障害とはならなかったが、忍熊王は摂津から山城に入り抵抗を示した。 しかし神功皇后側の武勇人である建振熊に計られて近江に退き琵琶湖に入水して果てたという。 話は少し逸れるが、神武東征神話にはこの応神天皇の大和入りの事績が反映しているのではないかという 説がある。 時代的には神武東征神話のほうが古く応神天皇の大和入りのほうが新しいのだが、「記紀」の撰録が八世紀 であり、藤原不比等らの撰録への意図的な関与があったであろうから仕方が無いことであろう。 さて、その後誉田別尊は、神功皇后摂政三年に立太子し、同六十九年神功皇后の死去に伴いその翌年に即位。 皇后には品陀真若王の娘仲姫とし、多数の皇妃を迎え、大鷦鷯尊ら20人を超える皇子女をもうけたという。 宮は軽島に明宮を建てたが、のち難波の大隈宮に移した。 応神天皇の時代は朝鮮半島を通じてさまざまな技術集団が渡来して、農地改良・馬・太刀・縫製・論語・ 千字文・典籍などをもたらし技術の改革、文化の振興が行われた。 応神天皇の実在性は有力視され、「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの最初の王「讃」をあてる 場合が多い。 応神天皇は記では110歳、紀では130歳で没したという。 第15代天皇 天皇名 応神天皇 (読み方 おうじんてんのう ) 名・諱等 誉田別尊 (読み方 ほむたわけのみこと ) 時代区分 古代 天皇在位 270?年から310?年 生年 生年不詳 没年 没年不詳 父 仲哀天皇 母 神功皇后 兄弟 誉屋別皇子・香坂王・忍熊王 配偶者 仲姫 皇子女 大鷦鷯尊 即位宮 軽島豊明宮 天皇陵 惠我藻伏崗陵 所在地 大阪府羽曳野市誉田 Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 5、伊香我色雄命(いかがしこおのみこと) @素戔嗚(すさのお)の第五子・饒速日(にぎはやひ)が西暦185年頃に九州から東遷して、 「天の磐船」に乗って河上の哮が峰(たけるがみね)に天降った。 そこは現在の大阪府交野(かたの)市と枚方(ひらかた)市で天野川が流れており、伊香色雄の子・ 多弁宿禰(たべのすくね)が天野川流域を開拓し、淀川と天野川の合流する地域を支配した。 一族は肩野物部(かたのもののべ、交野市と枚方市)となった。 肩野物部の神社は大阪府交野市私市(きさいち)に鎮座の磐船神社で、祭神は饒速日命、 ご神体は饒速日の乗ってきた磐船です。 (以下下記、「古代史探訪」参照) http://enkieden.exblog.jp/20953999/ −−−−−−(以下、「古代史俯瞰」参照) A猪名部(いなべ)神社の祭神。物部系の神で、饒速日命の六世の孫。猪名部造 (いなべのみやつこ)の祖神。 『日本書紀』応神31年8月条に、新羅から貢がれた<能き匠者、猪名部等の 始祖>とあります。 これだけみれば、イナ部は新羅から来た能き匠にはじまる、 と解されます。 ところが、『新撰姓氏録』には<猪名部造、伊香我色男命の後 なり>とあります。 伊香我色男命は『日本書紀』『古事記』によると孝元・祟神時代の物部系の人ですから、新羅から 来た猪名部等の始祖より前の時代にいたことになります。 (以下、★「古代史俯瞰」参照) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 6、享大己貴命(おおなむちのみこと) (第4節 穂積神社と大己貴命・少彦名命) http://www.diycc.info/taki/n/n293_307.htm また★世界大百科事典内の大己貴命(おおなむちのみこと)の言及 ・【大国主神】より 名義は大いなる国主の意で,天津神(あまつかみ)(高天原の神々)の主神たる天照大神 (あまてらすおおかみ)に対して国津神(くにつかみ)(土着の神々)の頭領たる位置をあらわす。 大国主にはなお大己貴命(おおなむちのみこと),葦原醜男(あしはらのしこお), 八千矛神(やちほこのかみ),顕国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名がある。 これはこの神が多くの神格の集成・統合として成った事情にもとづいており,そこから オオクニヌシ神話はかなり多様な要素を含むものとなっている。… ・【神田神社】より …東京都千代田区外神田に鎮座。大己貴(おおなむち)命を主神とし,相殿(あいどの)神 として少彦名(すくなびこな)命をまつる。 社伝によれば,730年(天平2)武蔵国豊島郡芝崎村に大己貴命をまつったのが当社のはじまりという。… Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 以上、WEB記事からの引用。 古事記や日本書紀など、古代史については、後日の研究に待ちたい。Top |