下呂温泉観光・レポート  (2020.10.27〜28日天気:晴れ)

@コース:27日:7:45自宅発−JR一宮8:45発 - 8:53岐阜駅乗り換え9:03発−下呂10:13着(市内散策)
 水明館宿泊-28日:下呂温泉合掌村見学他-17:00頃帰宅
10月27日・28日は、好天で市内散策や合掌村見学など一日のんびり過ごした。
下呂温泉の紹介

A下呂温泉合掌村見学(28日)
下呂温泉合掌村円空館紹介

下呂市総合観光案内(0576-25-4711)下呂温泉旅館協同組合(0576-25-2064)岐阜県観光連盟(0120-310561)


下呂温泉観光マップ


@下呂温泉街観光(2020.10.27)  Top

車窓の飛騨川003

車窓の飛騨川006

JR下呂駅 019

JR下呂駅・右手 (正面は下呂市総合観光案内所) 015

飛騨路下呂温泉水明館 020

水明館の庭池 022

温泉湧出地(飛騨川内) 10195

温泉街案内 10088

温泉街案内 10087

湯の町通り 10037

湯之島の高札場 039

伊能忠敬測量宿泊跡地と本陣飛騨屋址 043

下呂発温泉博物館 047

下呂発温泉博物館 048

下呂発温泉博物館 049

下呂発温泉博物館 050

かえる神社 044

下呂温泉・鷺の足湯 051

温泉寺解説(温泉の発見は延喜年間901-923) 061

温泉寺の長い石段 053

温泉寺(建立は寛文11年/1671年) 063

旧飛騨邸地蔵堂(温泉寺内) 064

天医稲荷大明神社 70

温泉寺から見た温泉街 076

下呂温泉の紹介(下呂市観光HP)   Top
薬師如来が傷ついた一羽の白鷺に姿を変え、飛騨川で傷を癒し、源泉のありかを村人に知らせたと伝えられている下呂温泉。
江戸時代の儒学者 林羅山は、下呂温泉を有馬、草津とともに「天下の三名泉」と称しました。昭和5年の下呂駅開業など、JR
高山線の開通や国道41号の全線開通によって発展してきました。
昭和49年からは温泉保護のため温泉の集中管理を行い、現在55度の温泉を各旅館に配湯しています。
「温泉の発見」
下呂の温泉街から4キロほど離れたところに、湯ヶ峰という海抜1,067mの山があります。この山は、およそ10万年前に噴火した
火山です。下呂温泉は、平安時代の中頃にあたる天暦年間(947から957年)にこの湯ヶ峰の頂上付近で発見されたと伝えられて
います。発見年代については、この天暦年間とする書のほかに延喜年間(901から923年)と記した書物もあります。
七代−飛騨代官を勤めた長谷川忠崇が、将軍吉宗の命により完成した「飛州志」には天暦年間とあり、「飛騨編年史要」には
延喜年間とあります。
「温泉の再発見・湧出地の移動」
鎌倉時代中頃の文永2(1265)年、湯ヶ峰の頂上付近で湧出していた温泉が突然出なくなり、現在源泉地といわれている場所、
即ち温泉街の中央を流れる飛騨川の河原で再び発見されました。温泉の再発見にまつわる話は「白鷺伝説」として今に伝わって
います。
温泉の出る場所が、海抜1,067mの山中から平地に移動し、温泉の利用が大変便利になり、名泉の評判が各地に広がっていきました。
室町時代の末期延徳元年(1265年)には、全国各地を紀行した京都五山の僧、万里集九も下呂温泉を訪れその名泉ぶりを讃えて
います。
「日本の名湯」
下呂温泉が名湯であることを初めて天下に紹介したのは、室町時代の京都五山の僧、万里集九でした。その詩文集『梅花無尽蔵』
には「本邦六十余州ごとに霊湯あり。その最たるものは、上野の草津、津陽の有馬、飛州の湯島(下呂)、この三か所なり」と
記されています。
江戸時代には儒学者林羅山も万里集九と同様の評価をしており、『林羅山詩集第三西南行日録』には「我が国は諸州に温泉を多く
有す。その最も著しいものは、摂津の有馬、上州の草津、飛騨の湯島(下呂)、この三か所なり」とあり、さらに「今、有馬、
草津は広く世の知るところとなり。湯島は古来の霊湯たること、遠く知るもの少なしといえども、入湯する人はその験を得ざる
ことなし」と続き、下呂温泉が名湯であることを伝えています。
「噴泉池」
噴泉池のご利用について(お願い)
下呂温泉街の真ん中を流れる飛騨川の河川敷にあり、下呂温泉の名物でもある噴泉池。開放的なロケーションで下呂温泉を堪能
でき、毎日多くのお客様が利用しています。加温、注水をしない源泉かけ流しですので、温度が夏は若干高め、冬はややぬるめ
です。また、平成22年2月1日からは男女とも水着着用が義務付けとなりました。「裸で入りたい!」という方もいらっしゃると
思いますが、どうか水着着用にてご了承ください。(下呂市観光HP) Top

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A下呂温泉合掌村他見学(2020.10.28)

万里集九像 095

林 羅山像 096

せせらぎ小径 098

湯の町 雨情公園 107

湯の町 雨情公園 181

いでゆ 朝市 115

いでゆ 朝市 111

合掌村しらさぎ座 120

民俗資料館 123

民俗資料館/館内展示 122

民俗資料館と夫婦杉 177

竹原文楽記念館 126
旧大戸屋住宅説明 gero10w131

旧大戸家住宅 166

旧大戸家住宅 167

板倉(旧遠山家)  131

かえるの館(休憩所) 134

飛騨工房 137

円空館へ 144
gero10t137

円空岩 138

年代別円空 141

年代別円空 142

かえる神社 152

高崎神社 160

高崎神社 163
高崎神社縁起 gero10w160
合掌村案内図 gero10w176

下呂大橋から温泉街を望む 194

下呂大橋から水明館を望む(14:03帰途に就く) 193

下呂温泉合掌村(HP)   Top
白川郷などから移築した10棟の合掌家屋集落で、日本の原風景を再現した合掌の里です。村内は「合掌の里」と「歳時記の森」
の2つのゾーンで構成されており、それぞれに飛騨の生活文化と山野草をはじめ、さまざまな植栽などから日本の四季を感じる
ことができます。
「合掌の里」は、国重文「旧大戸家住宅」を中心に10棟の合掌造りで集落を再現し、農具や民具などを展示する民俗資料館は
合掌集落の生活文化を身近に体験できます。 お食事処「合掌茶屋」、円空館などの施設があります。
体験施設「飛騨工房」では、色付けされた"こうぞ"で絵を描く「和紙の絵付け体験」、皿や茶碗など、素焼きの陶器に絵を描く
「陶器の絵付け体験」、本格的には"ロクロ"や"手びねり"などの「陶芸体験」が楽しめます。
「歳時記の森」は、桜とモミジの里山で、春から新緑の季節、そして紅葉の季節への移ろいを感じることができます。
里山のふもとには、下呂地域の住宅家屋を再現した民家「萬古庵」や土蔵、水車小屋・棚田、そして下呂の元祖「かえる神社」
も鎮座しています。「合掌の里」を眼下に、小鳥のさえずりを聞きながらの散策途中、普段の生活とは違った視点で発見した
感動は、忘れえぬ思い出になることでしょう。また、175メートルの「森の滑り台」は合掌村の遠望と、スリルが堪能できます。
(1回3才以上100円)

「歴史」 下呂温泉合掌村は、昭和38年3月に大野郡白川村から移築した国指定重要文化財「旧大戸家住宅」及び富山県五箇山 (現・南砺市)などから移築した合掌造りを中心に、10棟の合掌家屋で集落を再現しています。 旧大戸家住宅は、現在の白川郷集落から約10km南に位置する御母衣字上洞にあり、御母衣ダム建設(電源開発)の際に集落が 離散し、保存管理が困難であったものを、保存展示するために解体移築したもので、天保4(1833)年から弘化3(1846)年 まで13年をかけて建造されものと「棟札」に記録されています。 間口24.96m、奥行き12.27m、建坪251,337uの切妻茅葺き合掌造りで、昭和31年6月28日(文化財保護委員会告示建1367号) に国指定重要文化財に指定されています。 また、昭和37年3月30日付け文化財保護委員会地文建第25号により、現有地に移築を許可され、同年7月に文化財保護委員会の 技術指導のもとに移築工事に着手、翌38年3月に完成しています。 白川郷一円の民家は、南部の荘川地域は飛騨高山の系統に属し入母屋形式が多く、白川村及びその以北は主に切妻作りで、越中 の職人によったものが多い傾向です。 旧大戸家住宅もこれらの手によって造営されたことは棟札により明らかです。また、造営時の家族は19名を数えその内3分の2が 女性で、その身分は明らかではありませんが養蚕を営むには好都合であったといわれています。 旧大戸家住宅は、平沢勝栄氏(衆議院議員)の生家でもあります。 旧大戸家住宅に附属する板倉は、御母衣遠山家(重文)のものを同時に移築したもので、この建物は文化7(1810)年の造営に 成る3間4面の総釿ばつりの板倉です。 1階の柱には「文化七加能ゑ(注:庚)午年三月朔日 大工 伊八 定八」の墨書が、2階の窓の板戸内側には「弘化三ひのゑ馬年 十月やねふきかえ仕也」の墨書があります。 「沿革」 戦後の失業対策事業で、河川敷であった下呂中学校校庭の敷地の埋め立ての土取り場であった現有地を、湯之島館から寄付を受け その後、その土取り場の跡地に一部湖底に沈む白川郷から合掌造りの移築を計画した先人達の努力によって、現在の 「下呂温泉合掌村」があります。 Top

円空館(下呂温泉合掌村公式HP参照、2013年4月18日開館)    Top

(円空 微笑みに出会う旅)(HP)
寺院には所属せず、旅の中で人々と触れ合いながら修行を重ねた円空。北海道から近畿にかけてその足跡が残されていますが、
晩年は出生地である美濃国(現在の岐阜県)に戻り現在の岐阜県関市で入定を遂げました。旅の始まりであり終わりの地である
岐阜県内には円空ゆかりの史跡や逸話が多く残され、現在確認されている円空仏約5,000体のうち、1,300体以上が岐阜県内で
守り伝えられてきたもの。その数の多さはもちろん、最初期から晩年までの作品が揃っているため、岐阜を巡れば円空仏の魅力
を隅々まで味わうことができます。
下呂温泉合掌村円空館(HP)
合掌村に入って初めてここに昨年(2013年春)オープンしたばかりの円空館があることを知り、さっそく入って見ました.
ここに展示されている円空仏は下呂近くの寺、神社、個人の方々の所有されているものが殆どのようですが、素人目にも
なかなか素敵なように思いました。
展示もよく考えられていて、4方向から見えるガラスケースに入っており背面の梵字などの文字も見ることが出来ます
下呂市内には約180体の円空仏があるそうですが、ここにはその内の約30体が展示されており、ありがたいことに写真撮影が
自由でしたので全部の撮影をしたつもりでしたが、実際に撮った写真を数えてみると27体でした。(HP参照)
円空さんを訪ねる旅(5)(HP)
この円空館内の展示内容には大満足で感謝である。下呂市にある個人蔵の円空仏が展示してあり、小川神明神社そして少々
野住吉神社の神像を見ることができた。非公開の社寺や個人宅の円空仏を拝見させていただくことは、私のような何のコネも
肩書きもないものには不可能に近いことである。そして『撮影禁止』の表示がなく自由に撮影できるのがうれしい。
下呂温泉合掌村(HP:2013年4月18日開館)
下呂温泉合掌村に「円空館」開館
下呂温泉合掌村に円空仏の展示施設「円空館」がオープンし、18日に開館を祝うテープカットのセレモニーが行われました。
円空(1632-1695)は江戸時代初期、全国各地を巡り、およそ12万体もの神仏像を作ったとされる遊行僧で、ここ下呂市にも
1691年、60歳のころ滞在し、晩年の成熟した作品約180体が確認されており、円空館にはそのうちの29体の円空仏と資料が展示
してあります。
下呂温泉の新たな観光スポットとして、合掌村へお越しの際には是非お立ち寄りください。
場所:下呂温泉合掌村内
料金:無料 ※ただし合掌村入村券必要(大人800円 小人400円)
問合せ:下呂温泉合掌村(0576-25-2239)


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