名鉄羽島沿線円空生誕地&千代菊探訪ウオーキング
  H24.1.15(日) 天気:晴 今日の歩数:29,727歩

コース:新羽島駅(スタート受付8:30〜11:00)…中観音堂・羽島円空資料館…薬師寺…千代菊…
    ・・・羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館…竹鼻別院…羽島市役所前駅(ゴール)
    (距離:7.5km  時間:1時間50分) コースは、名鉄竹鼻線の日常(ニュース)参照

名鉄ウオーキングHP参照羽島市観光協会Web(円空)円空ガイドのPDF羽島市歴民円空資料館・薬師寺他
千代菊HPyoutube千代菊竹鼻別院(w)羽島市美濃竹鼻まつり



スタート地点の名鉄新羽島駅でコースマップを受け取る001 8:45

左はバロー羽島店009

広大な田んぼの中を歩く 015

伊吹山遠望 右は県立看護大学020

伊吹山遠望021

伊吹山と看護大学025

路傍の円空仏 029 9:21

中区バス亭の円空仏033 9:28

円空資料館(右)と中観音堂034 9:30

円空上人産湯の井戸036

産湯の井戸058

産湯の井戸(右)060

平成の円空仏@037

平成の円空仏A041

平成の円空仏B042

中観音堂へようこそ 045 9:33

円空作・十一面観音像(中観音堂) (222cm)t049

薬師寺脇の円空仏t075

円空仏(中観音堂)051

平成の円空仏053

平成の円空仏055

若き円空の旅姿056

神明神社では左義長が行われていた062 9:42

薬師寺の円空仏案内067 9:59

薬師寺内円空仏案内072

左は羽島市役所079 10:20

千代菊の工場(1738年元文3年創業)081 10:25

千代菊ではこの日甘酒が振る舞われた082

御坊瀬戸通りから竹鼻別院を見る085

羽島市歴史民俗資料館086

竹鼻別院の山門087

薩摩工事義没者竹中伝六の墓098

竹鼻別院のフジ099 10:37

上城町の旧家(格子戸の通り)102

ゴールの名鉄羽島市役所前駅に到着106 10:43

ゴールで完歩券を受け取る108 10:46


円空仏解説senkuw078

荒子観音(参考:3.10円空研修バスツアーが不可となった為参考に掲載する)   topへ
『荒子観音縁起』(Web解説

 荒子観音は、浄海山円龍院観音寺と言い、天台宗系のお寺です。江戸時代の終わりに、時の住職が、お寺の由来を記した
「浄海雑記」四巻によれば、古く奈良時代、聖武天皇の天平元年(729)に泰澄和尚によって開基された。
 泰澄和尚は北陸の霊峰白山を開いた名僧で、北陸、近畿、東海を遊歴して、各地に寺院を建立しました。
当観音寺もその一つで、御本尊の聖観世音菩薩像は泰澄和尚の作と言われる。
 天平3年(741)に、法相宗の自性上人が七堂伽藍を建立され寺としての姿を整えました。その後、寺は戦乱にまき
こまれるなどして荒廃したようですが、中世にはこの地方きっての天台宗葉上流の学問道場であった春日井市密蔵院に属
する大寺として、多数の僧徒を要し学問が盛んであったようです。
 天文5年(1536)には観音寺の塔頭常住院の賢俊上人によって多宝塔が再建されました。
 本堂は、天正4年(1576)に前田又左衛門利家が再建しました。利家は荒子城主前田利昌の四男に生まれ、織田信長
に仕え、後、豊臣秀吉から加賀の国を与えられた戦国武将です。
 前田利家の生誕地は、荒子観音より南西200mの天満天神宮境内に生誕の碑が建立されております。
 修験、遊行僧であったという円空は、観音寺十世円盛と親しく、たびたび寺を訪れ仁王像を初め、約1240体の円空仏
が残されています。
 木像を彫り続けるのは、円空にとって「造仏作善」の行であり、円空が彫ったこれらの像は、仏の本質である「さとり」
と「すくい」の両面を備えています。円空独自の造形美とノミさばきが見事で、心のわだかまりをきれいさっぱり削り取っ
てくれるような作品です。

国指定重要文化財
 多宝塔                          topへ

 円空は、寛永9年(1632)美濃国で生まれ64歳で亡くなる。円空の彫った像は、北は北海道、南は四国、九州におよび 全国で4562体、が確認されている。 愛知3116体   北海道   44体 岐阜1103体   富山     30体 埼玉 113体   その他  156体 荒子観音には約1240体と、その多さが理解できよう。   topへ
円空館(関市)(Web解説)
江戸時代(1632年)に岐阜県で生まれた僧、「円空」は、近畿地方から北海道の各地を遊行し、おびただしい数の円空仏を
人々の幸を願い彫りつづけました。これらの円空仏は、全国に約5,000体残っており、円空の自刻像と対面すると、その微笑
の中に、漂泊の生涯を送りながらも慈愛を施し続けた彼の人柄が感じられる気がします。
晩年は関市池尻弥勒寺の地に自坊をかまえ、ここを本拠地として活躍し、長良川河畔で入定し(1695年)、その64年にわたる
生涯を終えました。 
円空館は、このように関市とゆかりが深く、郷土の誇りである円空を広く紹介しております。
また、この地は円空の時代より1000年前、武儀郡の中心地として栄えた地域で、弥勒寺跡・弥勒寺東遺跡・弥勒寺西遺跡など
からなる武儀郡の役所があったところでもあり、これらも紹介しております。   topへ
円空を訪ねる旅14(Web解説)
円空さんの生誕地は諸説あるが、没した場所についてはここ関市池尻であることで一致している。
 生誕年については、昭和45年(1970)に確定した。円空50歳の時(1681)に群馬県富岡市貫前(めきさき)神社
で大般若経を見終え、その奥書に「壬申年生美濃国円空」と書き残していることから、寛永9年(1632)年であることが
判明した。
 晩年、58歳の時(1689)に園城寺尊栄から血脈を受け、弥勒寺は三井寺の末寺に加えられる。この地を自らの入定地と
定めた円空は、元禄八年(1695)7月13日、弟子の円長に血脈を与え、7月15日、長良川河畔で入定し、64年の生涯
を終えた。現在、弥勒寺周辺に、「円空入定塚」「円空の墓」「関市円空館」などがある。
 関市円空館のパンフによると、関市の円空仏は、294体ほど。神社・寺など52カ所に192体、個人70戸に102体だ
そうである。地域別では関地域168体、上之保地域55体、洞戸地域37体、武儀地域21体、板取地域7体、武芸川地域
6体だそうである。 


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