友歩会名古屋編Part2・下見&例会レポート

   H25.10.19(土)下見&H25.12.7(土)例会
天気:下見:晴れ(7名)歩数:27,807歩 例会:晴れ(42名)の歩数:28,333歩 

コース:地下鉄 いりなか駅(9:00)9:15発→南山教会檀渓祉善昌寺塩付街道飯田街道
    川原神社香積院般若台徳林寺興正寺新福寺隼人池公園→いりなか駅

(コースマップ)参照  友歩会(HP)明治24年地形図@ 明治24年地形図A


用語解説:

浄昇寺西光院(赤門寺)徳林寺興正寺般若台香積院川原神社飯田街道塩付街道善昌寺檀渓祉
南山教会隼人池公園新福寺桂園如雲の墓誌「旌忠社跡」の碑
川原神社(写真解説)南山大学案内図 南山大学(HP)南山大学人類学博物館(HP)



地下鉄いりなか駅(スタート・ゴール)での受付np22001

南山教会np22002

南山学園駐車場でコース説明 np22003

昭和美術館005

左:山崎川沿いに歩く006

檀渓勝跡碑007

檀渓跡の説明008

山崎川に架かる檀渓橋(昭和42.3竣工)010

白山社012

善昌寺(左:石仏観世音菩薩、右:円空仏薬師如来右:)014

石仏015

善昌寺山門016

善昌寺(白山社(奥)に隣接している)np22015(017)

塩付街道の街路絵 023

塩付街道を歩く np22017

うばめがし記念碑(塩付街道沿い民家の敷地内)025

飯田街道へ出る(商店街アーチ) 026

川原神社に到着 027

川原神社内の川名弁財天 029

川原神社の神馬np22021
川原神社(解説)

川原神社本大祭(10.17餅投げ用の柵)035

川名公園(災害対策用に整備されている)040

桑山美術館 043

中京大付属中京高校 046

旌忠社跡 048

香積院(こうじゃくいん)049

香積院の天井絵 np22036

ふれ愛観音 np22034

味岡山香積院 051

南山大学内・人類学博物館・左下・地下一階074
南山大学案内図np22w058 (人類学博物館はR棟L地下一階:右下)

人類学博物館・展示室062

展示065

縄文土器類np22053

学芸員の説明を聞くnp22063

展示室067

石棺071

カヌーの展示np22067

南山大学構内・昼食np22049

南山大学構内・全員集合np22048

史跡・般若台に着く 078

般若台の本尊・釈迦如来座像を見るnp22073

左端は大般若石経宝塔(右:大仏頂尊勝陀羅尼塔)np22075

左:妙香城・右:般若台 の石柱 079

八事日赤病院081

妙見宮に行く(妙見宮は北斗七星を祀る) 082

妙見宮・浄昇寺 法堂084

浄昇寺 083

西光院(別名赤門寺・信長寄進の門)088

徳林寺へ 089

八事霊園 090
尾張藩勤王派・桂園如雲の墓誌 np22w097

桂園如雲の墓(徳林寺) 091

佐藤牧山の碑(八事山興正寺内) 099

八事山興正寺千燈供養会の案内 np22105

参道の千燈 nap2107

暖地広葉樹林の説明 115

興正寺・東山門 2119
興正寺千燈供養会 会場案内

興正寺・五重塔np22093

興正寺・紅葉の五重塔np22096

興正寺・五重塔文化5年(1808)建立、高さ30m122

選抜野球発祥の地の碑(八事球場モニュメント) 130

誓願寺 2134

市の天然記念物 宝珠院のイヌナシの樹 141

隼人池 143

隼人池公園 148 (コースマップ)参照

ふれあい観音堂(味岡山香積院)t054

保存樹 ヤマモモ (味岡山香積院)t052

クスの樹(妙見宮内) t086

八事山興正寺・五重塔 t123
全員集合写真(2013.12.07)
南山教会(HP)の説明   topへ

カトリック南山教会は1950年に、小学校から大学までを経営している南山学園の職員のための聖堂として、神言
修道会と信徒によって建立されました。やがて名古屋教区(司教座聖堂は布池教会)に属する一つの小教区と
なりました。現在の信者総数は約1870名です。
最初の建物はアメリカ軍のカマボコ兵舎を利用し、床は畳敷きで、60人も入ればいっぱいという小さな聖堂で
した。現在の教会堂は、1958年2月に完成して、3月に祝別式と最初のミサが捧げられました。
同年5月3日に駐日ローマ教皇庁公使によって新聖堂の聖別式と献堂式が行われました。

南山大学(HP)   topへ 概観(Wikipedia解説) 「大学全体」 神言会宣教師ヨゼフ・ライネルスが1932年に設立した旧制南山中学校に始まり、1946年に設立された旧制南山外国語 専門学校を経て、1949年に南山大学となる。1995年に修道会を通して兄弟関係にあった名古屋聖霊短期大学を併合。 中部地方唯一のカトリック系大学である。 「教育理念」 「カトリック世界観に基づいた学校教育」を理念として、『人間の尊厳のために』(ラテン語でHominis Dignitati) を教育のモットーとしている。 「学風および特色」 国際的な校風を標榜しており、留学生の誘致に積極的で、名古屋キャンパスでは欧米系、瀬戸キャンパスではアジア 系の留学生が主として在籍している。 カトリック系大学である上智大学、聖トマス大学(旧英知大学)と姉妹校関係にあり、体育会系を中心として、年に 一度の「上南戦」「英南(えいなん)戦」を長年にわたり行っている。ただし、これら対戦は、カトリック系大学の 交流を図るものであり、学術的な交流は皆無である。 人文学部キリスト教学科(旧文学部神学科)はカトリック司祭養成課程でもある。 「名前の由来」 大学発祥の五軒家町周辺の山林地が「南山(みなみやま)」と呼ばれていたことに由来する。南山大学では、それに 加えて「なんざん」は李白の春日行や詩経に散見する「南山」「南山寿」などにも通じるため、この持久、堅固を 意味し、長寿を慶祝する辞儀を考えて同校が永久に繁栄し偉人を輩出するよう願いを込めて名付けたとしている。 topへ
南山大学人類学博物館(HP)   topへ 展示:(wikipedia) 第1展示室 マリンガー・コレクション 南山大学の運営母体である神言会司祭であり、先史学者でもあったヨハネス・マリンガ ーから寄贈された、 ヨーロッパの旧石器時代前期?後期の石器など。 縄文土器 同じ神言会によって運営されていた日本考古学研究所が収蔵していた、関東地方の遺跡からの出土品など。 同大学による発掘調査資料や寄贈品 長良川流域の旧石器資料のほか、瑞穂遺跡、高蔵遺跡、白山薮古墳(名古屋市) や、入海貝塚(東浦町)などの発掘調査によって収集された資料。又、断夫山古墳の円筒埴輪や大須二子山古墳から の銅鏡なども展示されている。 第2展示室 昭和30年代の家電製品を中心とした、昭和の「暮らし」にスポットを当てた展示。また、歴史的な通貨資料なども 見ることができる。 第3展示室 神言会司祭で同大で教鞭をとったヘンリー・アウフェナンガー(1905?1980)の収集したパプアニューギニア北部 および1964年 (昭和39年)の同大調査によるパプアニューギニア高地の民族資料などと、上智大学調査による西北タイの山岳少数 民族(ミャオ族など)の資料を展示している。  topへ
檀渓跡 (pdfマップ)  topへ 檀渓橋を中心とした一帯。  山崎川が湾曲し八事丘陵の裾に沿って南流する近くの渓谷を檀渓と呼んだ。昔の様子は江戸末期の「尾張名所図絵」 に記載がある。 文人や僧侶がこの景勝地を訪れ展望を楽しみ詩を詠んだという。   topへ pdfマップ
善昌寺   topへ  「尾張志」によると、江戸時代の初め、慶長13年(1608)、服部善昌の子が出家して建立したという。  寺内の観音堂には秘仏の石像の千手観音と円空作の薬師如来像があり、堂前には、「石仏」(いしぼとけ)の地名のもと になった地蔵尊がある。山門脇には三十三観音などもある。  明治5年区内最初の学校、松栄学校(現在の広路小)が境内に設立された。
塩付街道(瑞穂区HP)   topへ   江戸時代の中頃まで、南区本星崎町一帯では、さかんに塩を作っていた。ここでとれた塩は、千種区古出来町あたり に集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。本星崎町から古出来町まで約10kmが 塩付街道と呼ばれる。  俵に詰めて塩を馬で運んだ「中馬(ちゅうま)」といわれる運送業者が往来していた。 topへ 汐路町の道沿いに残る松は、昔の街道の趣きを伝えている。
飯田街道(webHP)   topへ 徳川家康によって作られた、尾張名古屋と信州飯田を結んでいる街道。 現在の国道153号(愛知県名古屋市〜豊田市〜長野県飯田市〜伊那市〜塩尻市)は、ほぼ旧道を走る。関所のわずらわしさ がなかったので、関所逃れの旅人も多かった。静岡県浜松市内の飯田地区に通ずる主要道路。(wikipedia)
川原神社(wikipedia)   topへ 川原神社(かわはらじんじゃ)は愛知県名古屋市昭和区にある神社。式内社でもある。 「歴史」 日の神、埴山姫神(土の神)、罔象女神(水の神)を祀っている。防火鎮火の神としても祀られている。建立は定かでは ないが、延喜式に初めてその名が出てきている。社殿は第二次世界大戦で焼失し、再建されたが1992年、不慮の火災で また焼失したため、1998年に新たに建て直したものである。 「境内」 名称は「川原神社」よりも「川名の弁天様」の方がよく通る。大正時代に小舟が見つかった。これは昔このあたりが入り 組んだ海岸線の入り江だったためと言われているからである。毎月3と8のつく日は朝市が開かれ、大勢の人でにぎわう。 地元ではしばしば『さんぱち』と呼ばれている。 境内は木々に囲まれ、クスノキやアラカシなどの保存樹も数多く存在する。また、結婚式場としても利用されている。 「池」 境内には「弁天池」と呼ばれる池があり、弁才天が祀られているが神仏分離で近くの曹洞宗太平寺へ遷された。祭神は 市杵嶋姫命である。また池にはカメがたくさんいることでも知られ、江戸時代にかかれた、『尾張名所図会』にもたく さんのカメが描かれている。たまに民家にカメが現れる事があるが、その時はカメに酒を飲ませてから池に返すのが慣 わしとされている。 2003年に崩壊した石垣の修復作業の際、水を抜いたところ357匹ものカメが見つかった。近年はミドリガメが目立ち問題 となっていたが多くは駆除され、在来種のニホンイシガメ、クサガメなどが主となっている。  topへ
「旌忠社跡」の碑 地下鉄「いりなか」駅から甲子園最多優勝の中京高校の通学路を上ると、高校正門の筋向い、聖霊病院北側の駐車場の 片隅に「旌忠社跡」の碑があります。尾張藩主徳川慶勝の建言によって、明治2年(1869)、前年の戌辰戦争の英霊25柱 を祀る旌忠社が建てられました。明治8年(1875)招魂社と改め、大正7年(1918)には城北練兵場(現名城公園)へ、 さらに昭和10年(1935)名古屋城南に移転し、愛知県護国神社として現在に至っています。 「旌忠社跡」の碑は駐車場の北端にありますが、社は駐車場奥あたりに南向きに建っていたようです。ここは聖霊病院 の敷地内、碑の横には、盛り土をした小山があり、ヨゼフ像が祀られていました。topへ
香積院(wikipedia)   topへ 香積院(こうじゃくいん)は愛知県名古屋市昭和区にある曹洞宗の寺院。山号は味岡山(あじおかさん)。 「沿革」 貞享4年(1687年)、久屋町(現在の久屋大通付近)の豪商・味岡次郎九郎が早逝した一人娘の菩提を弔うために現在の 寺地を寄付して建立された。当初の寺号は多聞寺と言い、源頼朝が建立したという多聞寺の山門を移築すると共に、 その寺号を拝領したものであったが、元禄2年(1689年)に香積院と改めた。 現在も残る総門と山門(丸い入口を持ち、丸門とも龍門とも呼ばれる)は建立当時に移築されたものであるという。 永平寺開祖・道元直筆の一葉観音画像が伝わっており、観音堂にはこれを元として西村公朝が制作した一葉観音像が 安置されているほか、西村が監修した天井画も描かれている。また、境内にはシダレザクラの大木があり、開花時期の 3月後半頃にはカメラを持って訪れる者も多い。   topへ
般若台八事日赤周辺案内・参照   ★topへ 史跡:般若台。安永年間(1772から1781)、香積院4世の雲臥和尚(うんがおしょう)が引退した後、この地に籠もり 「大般若経」を写経したので、この名が付いています。経本六百巻は、香積院に宝物として所蔵されています。 この付近は高台になっており、かつては名古屋の城下町が眺望できた絶景の地でした。(昭和区役所案内引用) 川名山・般若台コース(ウオーキングマップPDF)   topへ
浄昇寺。鳥居の横に浄昇寺の石柱が建ち、本殿の前に社があり、妙見宮と同じ境内にあります。topへ 八事日赤周辺案内web参照
西光院(赤門寺)(Web) 西光院。開創は永正・大永年間(西暦1504〜1527)清須城内に創建され。その後、中区白川町に移り、昭和18年 現在地に移転した。朱色の山門は薬医門(やくいもん)で、織田信長が寄進したものと伝えられ、「赤門寺」 (あかもんでら)と称されている。 リンク:西光院ホームページ  topへ
徳林寺(HP)   topへ もともとは名古屋のど真ん中、白川公園にあった浄土宗の寺院で、強制疎開により八事に移された。 八事日赤病院の近くで、八事霊園の真向かいに位置する。野並の徳林寺とは別である。  本堂の右側には不動明王が立っている。名古屋城築城の折に堀川から現れたと伝わるもので、不動明王 とは言いながら実に柔和な容貌、 通称を「童顔地蔵」というそうな。現在工事中ゆえに童顔地蔵の周囲は 雑然としていた。 topへ
興正寺(WebHP)   topへ 興正寺は、愛知県名古屋市昭和区八事本町にある高野山真言宗の別格本山。山号は八事山。通称は八事観音。 本尊は大日如来。境内は本堂などがある西山普門院と奥之院がある東山遍照院に分かれており、全域が興正寺 公園として開放されている。 「歴史」(Wikipedia) 高野山において弘法大師の五鈷杵(ごこしょ)を授かった天瑞圓照により1686年(貞享3年)に建立。1688年 尾張藩二代目藩主徳川光友の帰依を受け、尾張徳川家の祈願寺として繁栄し「尾張高野」とも称される。 「伽藍」 五重塔 - 文化5年(1808年)入仏。東海地区に現存する唯一の木造五重塔として1982年に国の重要文化財に 指定された。高さは30m、国の重要文化財。 本堂(阿弥陀堂)寿老人も奉る。 総門 中門 - かつて女人禁制だった東山との境にあった女人門を当地に移築。 東山門 - 宝永年間に名古屋城から移築された出丸門。 能満堂 大日堂:元禄10年(1697)徳川2代藩主光友公鋳造の大日如来像が安置。(高さ3.8m重さ2トン) 観音堂 - 安政4年(1857年)再建。本尊聖観音立像(市指定文化財)は秘仏である。 開山堂 不動堂 奥之院 牧山会の見学会の様子  興正寺の歴史HP    topへ
半僧坊新福寺(いりなか商店街発展会HP)   topへ 新福寺は1910年にこの地に移されました。 半僧坊とは、観音様の化身が「姿は俗人だが心は僧。故に汝は半僧坊だ」と言われたことが『半僧坊』の言葉 の由来です。 本尊の阿弥陀如来の頭の中に観音さまが納められているそうです。 本堂の前には宮本武蔵碑があります。 武蔵の碑は新福寺と笠寺観音にあります。   topへ
隼人池公園(昭和区HP隼人池公園)    topへ 桜の名所として親しまれ、ボートも浮かぶ隼人池には、中央に浮見堂があり、周囲に1周400mほどの遊歩道が 整備されています。その名は、もともと農業用灌漑池として、犬山城主の成瀬隼人正によってつくられたこと によるものです。 今は、都市化が進み、店舗・住宅が増える中で、散策や憩いの場として利用されています。)
名古屋市:ふるさと歴史のみち(瑞穂区)参照  (コースマップ)参照
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愛知県名古屋市千種区の平和公園内にある猫ヶ洞池などに源を発し、南西方向の昭和区、瑞穂区、南区
へと流れ、港区で名古屋港へ注ぐ。
名古屋市瑞穂公園のある中流域までの川沿いには広範囲に渉って桜の木が植えられており、「山崎川
四季の道」として日本さくら名所100選にも選ばれている、市内屈指の桜の名所である。1987年
(昭和62年)に旧・建設省(現・国土交通省)から「ふるさとの川モデル河川」に選ばれている。

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  (参考:名古屋を歩こう参照) topへ

明治24年地形図@ topへ
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