大垣市桜祭りと水門川舟下りレポート
H24.4.9(月) 天気:晴 今日の歩数:18,584歩
水門川の桜(八幡大橋欄干)008 |
奥の細道結びの記念館に向かう011 |
水門川の桜(赤い橋が似合う)012 |
川沿いの柳も風情がある015 |
P番石山の石より白し秋の風017 (マップ17番参照)背後は市役所 |
水門川の歩道019 |
水門川の桜(竹橋付近)021 |
水門川の桜(竹橋付近)023 |
水門川の桜027 |
古木の桜も満開029 |
水門川の桜(四季の広場・ウオーターカーテン)033 |
正面は四季の広場に架かる虹の橋048 |
虹の橋050 |
四季の広場の桜049 |
水門川の満開の桜053 |
虹の橋からウオーターカーテンを見る055 |
虹の橋056 |
四季の広場(岩場)057 |
水門川の桜(住吉橋付近)062 |
奥の細道結びの記念館前の水門川の桜090 |
水門川の桜(記念館は右手)066 |
住吉灯台と船町港跡067 |
舟下りの船着き場071 |
奥の細道結びの地の標柱074 |
水門川の桜(高橋から見る)076 |
奥の細道結びの記念館前の芭蕉翁077 |
奥の細道結びの記念館4.8オープン 079 |
舟下りの舟到着087 |
住吉灯台0t084 |
大垣城公園の戸田氏鉄像 t11t ★topへ |
水門川の桜 032 |
舟下りが続々到着する(記念館前)089 |
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上りと下り 093 |
船町道標(右京みち左江戸道)文政年間美濃路沿いに建立094 |
この日、舟下りが盛況だった095 |
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ウオーターカーテン103 |
水門川の桜104 |
四季の広場107 |
水門川の桜(古木も頑張っている)111 |
大垣公園と大垣城114 ★topへ |
大垣城は戸田氏鉄が初代藩主(1635年十万石)115 |
舟下りの乗船場(右手)127 |
水門川の桜を眺めながらの出発だ128 |
きれいな川の水と桜がすがすがしさを演出していた129 |
この日は桜が満開で乗船客で賑わった130 |
奥の細道結びの記念館前までの船旅だ131 |
大垣公園、戸田氏鉄公と大垣城t116 ★奥の細道結びの記念館概要★松尾芭蕉(WP)★大垣城 |
舟下りは4月1日から4月15日まで開催されている 132 ★住吉灯台(Wp参照) (歴史) 江戸時代、大垣城下の水門川にある船町港は、水門川から 揖斐川を経て、桑名宿へ至る重要な川湊であった。 元禄年間 (1688年〜1704年)、船町港に住吉燈台が建設される。 高さ約8m。寄棟造の木造の燈台であった。 1689年(元禄9年)、 松尾芭蕉が船町港を訪れ、「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の俳句を 詠み、船で桑名へ向かう(奥の細道結びの地)。 1887年(明治20年)、再建される。 (その他) 大垣市船町と桑名市を結ぶ水運は、明治以降も盛んであり、 1883年(明治16年)3月には蒸気船による定期航路も開設され、 名古屋(熱田)〜桑名〜大垣と船で結ばれていた。1919年 (大正8年)4月27日に(旧)養老鉄道(現養老鉄道とは別企業)に より、この航路に並行して桑名駅〜揖斐駅(現養老鉄道養老線)が 全通すると、利用客は激減するが、蒸気船以外の川舟の利用は多 く、昭和初期には年間1万艘の舟が行き来していた。 蒸気船の定期航路は1951年(昭和26年)頃に廃止される。 モータリゼーションにより川舟もやがて廃れていった。 (現在) 周辺は船町公園として整備されている。 ★topへ |
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