

第109回史跡巡りシリーズ・西三河編Part1 11km (詳細・拡大)
(令和7年(2025)6月7日(土)・天気:曇り) (37名参加/29,013歩)

★コース:小信中島(バス停) 家7:10発→中島バス7:32発→名鉄一宮発8:01→知立乗換8:51→牛田駅8:53着
スタート: 9:00・牛田駅→東海道松並木→知立城址→知立公園→知立神社→コネハサマ公園(昼食)→
→業平塚→根上がり松→在原寺→無量寿寺→(さむらい塚)→来迎寺一里塚→牛田駅(11km)

★知立市観光協会 ★知立神社:はなしょうぶ園 ★無量寿寺:八橋かきつばた園
★コースマップ(PDF) ★『解説』欄へ ★全員集合
寺さんWeb
一宮友歩会


![]() 名鉄牛田駅ushida2 |
![]() 名鉄牛田駅ushida3 |
![]() 出発式とコース解説109aisatu.jpg |
![]() 東海道松並木を歩く14 |
![]() 東海道松並木を歩く16 |
![]() 東海道松並木を歩く17 |
![]() 東海道松並木を歩く18 |
![]() 東海道松並木を歩く21 |
![]() 鎌倉街道の説明(拡大版参照m)22 |
![]() 明治用水の説明(拡大版参照y)26 |
![]() 東海道松並木(知立の松並木)109tiryumatu |
![]() 知立の松並木 109matu1.jpg |
![]() 知立宿問屋場跡109tiryutonyaba.jpg |
![]() 東海道案内図109toukaidou.jpg |
![]() 知立古城址 109tiryukojyou.jpg |
![]() 知立古城址109tiryukojyou2.jpg |
![]() 知立公園の花菖蒲109tiryupark1 |
![]() 知立公園の花菖蒲について109hanasyoubu.jpg |
![]() 知立公園37 |
![]() 知立公園48 |
![]() 知立神社 42 |
![]() 芭蕉句碑(知立神社)46 |
![]() 花しょうぶ祭り47 |
![]() 花しょうぶ51 |
![]() 花しょうぶ苑52 |
![]() 花しょうぶ苑(西公園)53 |
![]() 花しょうぶ苑のお店65 |
![]() 多宝塔(知立神社)68 |
![]() 知立神社(拝殿) 72 |
![]() 知立神社石橋70 |
![]() 知立神社(神池)81 |
![]() コネハサマ公園(昼食)86 |
![]() 業平塚供養塔92 |
![]() 業平塚91 |
![]() 業平塚 109narihiratuka |
![]() 全員集合(業平塚)95 |
![]() 根上がり松97 |
![]() 根上がり松 109neagari |
![]() 在原寺説明103 |
![]() 在原寺109zaigenji |
![]() 無量壽寺109/109muryouji2.jpg |
![]() 無量寿寺109muryouj 109muryouji |
![]() 古城塚(さむらい塚)149 |
![]() 古城塚(さむらい塚)碑150 |
![]() 今崎城跡154 |
![]() 来迎寺へ155 |
![]() 来迎寺一里塚109raigoujiitiri 慶長9年(1604)幕府によって江戸日本橋を基点に一里 (約4q)ごとに街道の両側に一対の塚を築き、その上 に榎、松が目印に植えられました。 来迎寺一里塚には松が植えられ、北塚は原型を残して いますが、南側は一部改造されていたため、昭和36年 に北塚のみ県の指定文化財に、その後復元された南塚 も平成8年に追加指定されました。このように両塚が 完全に残されているのは大変珍しいといわれて います。 |
![]() 来迎寺一里塚109raigoujiitiri2 |
![]() 来迎寺一里塚碑159 |
![]() ゴールでの挨拶165 |
★解説欄 コースマップ(PDF)(109map) 109例会西三河編P1 見所説明 Top![]() |
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★牛田駅は、愛知県知立市牛田一丁目にある名古屋鉄道名古屋本線の駅である。駅番号はNH18。 普通列車のみが停車する。 ★topへ usidas.jpg |
★東海道松並木(知立観光ナビ参照) 109tiryumatu.jpg ★topへ(文化財:知立の松並木pdf参照) 知立の松並木写真集 ★topへ |
★東海道池鯉鮒宿(知立市HP参照) ★topへ池鯉鮒(現知立)が東海道の宿駅として発足したのは、関ヶ原合戦の翌、慶長6年(1601)のことです。古代から知立神社を氏神と して城砦を構え、馬市場の開かれる農村だった池鯉鮒は、この時を転機として、東海道交通の要務をになう宿場町の活動を開始す ることとなりました。東海道五十三次が完成したのは、寛永10年(1633)になってからである。この間の30余年間は宿駅制度の改訂 が度々行なわれています。池鯉鮒が宿駅の選定を受けるについては、関ヶ原合戦後、家康の命によって東海道を巡視した彦坂小刑部 ・大久保十兵衛等が、次にのべるような事情を考慮したのではないかと思われます。地形上、鎌倉街道よりも池鯉鮒を通る道の方が 平坦地に恵まれ、距離も多少短縮される。池鯉鮒通過の道は、鳴海から岡崎に至る通路として利用者が増えていた。 (天正3年(1575)、織田信長による東海道筋の補修があり、同14年、秀吉の妹、朝日姫が家康に輿入れの際、池鯉鮒の西の野で豊臣 方から徳川方へ引き継がれるなど、鎌倉街道から東海道筋へ往来が移行していました。) 近傍20余村の氏子が信仰する格式の高い知立神社の鎮座と盛大な馬市、木綿市が開催され、地方経済の要地になっていた。 以上のことなどにより、東海道五十三次の江戸から39番目の宿駅として「池鯉鮒宿」が発足しました。 ★topへ |
★知立城祉(wikipedia参照) ★topへ知立神社の神官永見氏が城主を兼ねていたとその家譜にあります。桶狭間合戦後に織田軍により落城、のち刈谷城主水野忠重 が御屋形を建て、将軍の上洛などで休憩所とされましたが、元禄期の地震で倒壊したといわれています。 109/109tiryujyou1.jpg 上から知立神社、知立古城祉、知立宿松並木(旧東海道) |
★知立公園 ★topへ知立公園の花しょうぶは、昭和31年、同32年、同35年の3回にわたって明治神宮から下賜されたもので、明治天皇ならびに 昭憲皇太后御遺愛の名品60種が植えられています。 知立公園には、知立神社をはさんで、東公園と西公園があり、どちらの公園でも花しょうぶをご観覧いただけます。 知立公園の花しょうぶは、近年開花が早まっており、昨年は5月中旬〜下旬が一番の見頃でした。 また、知立公園の周辺には、戦国武将ゆかりの史跡や、かつての池鯉鮒宿の面影をしのばせる史跡が点在しています。 まつり期間中、知立公園には知立市観光ガイドボランティアが常駐し、みなさまの観光のお手伝いをいたします。 ぜひ、知立公園花しょうぶまつりをお楽しみください。★topへ |
知立神社(WEB) ★topへ【概要】当社は景行天皇の頃の創建と伝え、以来千年以上にわたりこの碧海地方はもとより広く篤く崇敬を集めてまいりまし た。すでに平安時代『延喜式』神名帳にその名が見え、三河国二宮として国司の祭祀を受け、江戸時代には東海道三社の一つ に数えられ、東海道を往来する旅人には「まむし除け」のご神徳で知られ各地にご分社ご分霊が勧請されました。 近代以降においては皇室の祖神をお祀りするご縁から国家安寧・家内安全の神社として、今なお多くの参拝者をお迎えしてお ります。知立神社境内図 109gaidemap.jpg ★topへ 知立神社境内図(東西に公園がある)★top知立神社は、熱田神社・三島神社とともに江戸時代 には、東海道を往来する旅人から東海の三名社と崇 められた神社である。 社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊東征の おり、当地において、皇祖の神々に平定の祈願を 行い、無事、その務めを果したことにより、当地 に、建国の祖神を祀ったのが初め。 一説には、仲哀天皇の頃とも言われているが、創建 当初は、現在地の東1Kmの山町の北に鎮座してい た。戦国代に焼失したため、上重原へ遷座したが、 再度焼失したため、天正元年(1573)、現在地に 移ったという。 嘉祥三年(850)慈覚大師(円仁)が当地に来た 時に、蝮に咬まれたので、当社に参拝し祈願すると 、痛みも腫れもなくったことから、古来、蝮よけ・ 長虫よけの信仰があり、当社の神札を携帯して山に 入っても、蝮に咬まれないという。 祭礼は、5月3日(元来は旧暦の4月3日であった が、昭和38年より5月3日となった) ※三河の国の一宮は、豊川市の砥鹿神社で、知立 神社は二宮となっている。ちなみに三宮は豊田市の 猿投神社であり、四宮は豊橋市の石巻神社であると いわれている 「御祭神」 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト) 鵜草葦不合尊(ウガヤフキアエズノミコト) 玉依比売命(タマヨリヒメノミコト) 神日本磐余彦命(カンヤマトイワレヒコノミコト) 聖徳太子(ショウトクタイシ) 青海首命(アオミノオビト) 「御神徳」 安産 雨乞い 長虫除け その他諸々 ★top |
コネハサマ公園(知立市児童遊園) ★topへコネハサマ児童遊園(コネハサマじどうゆうえん) 所在地:牛田町コネハサマ134-77 面積:529平方メートル |
業平塚 ★topへ宝篋印塔(業平供養塔) (ほうきょういんとう(なりひらくようとう)) 在原業平の供養のために建てられた宝篋印塔で、室町時代のものとされています。現在の業平塚のある場所は、「八橋伝説地」 として愛知県の名勝に指定されています。 |
根上がり松 ★topへ根が2メートルほど持ち上がっていることから名付けられ、鎌倉街道の傍らに往時の賑わいを偲ぶように立っています。 松の根元に「鎌倉街道之跡」の碑があり、碑陰には、阿仏尼の「十六夜日記」の一節が刻まれています。 |
在原寺(ざいげんじ) ★topへ寛平年間(889〜897)に業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられて います。平安の歌人である在原業平が東下りの途中、八橋にさしかかり、かきつばたが一面に咲き乱れているのを見て 【からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ】と詠んだ歌はかきつばたの5文字を 折り込んでいるいることで有名で、広く文人や歌人に親しまれています。 |
無量寿寺 ★topへ無量壽寺のある八橋は「伊勢物語」の時代からかきつばたの群生地として有名です。幕末期に絶えかかっていたかきつばたを、 この無量壽寺に移植したと言われています。 室町時代の延文5年(1360年)臨済の僧恵玄が中興し、江戸時代の宝永8年(1711年)にいたり、同宗妙心寺派になりました。 文化9年(1812年)方巌売茶翁により再建が行われ、かきつばた庭園はこのときに完成しました。三河富士と呼ばれる村積山 及び逢妻川を借景した雄大な煎茶庭園はかきつばたの匂うばかりの濃紫と相まってその美しさはまた格別の風情があります。 |
来迎寺(らいごうじ)一里塚 ★topへ慶長9年(1604)幕府によって江戸日本橋を基点に一里(約4q)ごとに街道の両側に一対の塚を築き、その上に榎、松が目印に 植えられました。来迎寺一里塚には松が植えられ、北塚は原型を残していますが、南側は一部改造されていたため、昭和36年に 北塚のみ県の指定文化財に、その後復元された南塚も平成8年に追加指定されました。このように両塚が完全に残されているのは 大変珍しいといわれています。 |
知立神社:はなしょうぶ園109hanas.jpg Top![]() |
無量寿寺:八橋かきつばた園109wkakitubata.jpg Top![]() |
★全員集合(2025.6.7、業平塚:Tさん) Top |

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