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全員集合(その1)
★近鉄 戸田駅 (wikipedia)参照 ★topへ
戸田駅(とだえき)は、愛知県名古屋市中川区水里三丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅。
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。ホーム有効長は3両分。駅舎(改札口)は2番のりば側名古屋寄り
にあり、反対側の1番のりばへは地下道で連絡している。
★直会公園(出発式) ★topへ
愛知県名古屋市中川区春田 (街区公園)
面積:1248u
最寄駅:戸田駅(0.6km) 春田駅(0.7km) 伏屋駅(1.6km)
最寄のバス停:供米田三丁目(130m) 戸田三丁目(330m) 富田支所(370m)
★北宮公園(中川区東春田2丁目) ★topへ
愛知県名古屋市中川区東春田 (街区公園)
面積:2138u
最寄駅:春田駅(0.4km) 伏屋駅(1km) 戸田駅(1.2km)
最寄のバス停:富田中学校前(220m) 春田三丁目(370m) 伏屋橋(380m
★市指定文化財「戸田まつり」ゆかりの社
戸田まつりの起源は、元禄15年(1702年)と西照寺の記録にある。
一之割から五之割にある山車を引き出して町内を練り、全体として一つのまつりを構成している。
山車の上では文字書きからくり人形、越後獅子からくり人形などが笛太鼓の音に合せて妙技を演ずる。
しかし、毎年山車が出るとはかぎらない。各境内に山車蔵が建っている。
八幡社(一之割)…祭神は応神天皇、創建不詳。
天満宮(二之割)…祭神は菅原道真、創建不詳。
鈴宮社(三之割)…祭神は天宇受売命、創建不詳。
白山神社(四之割)…祭神は伊弉冉尊、創建不詳。
神明社(五之割)…祭神は天照皇大神、創建不詳。
★前田城祉(Web) ★topへ
■歴史
前田利家を出した前田氏発祥の地とされる。前田氏は前田城を中心に荒子城、蟹江城、下之一色城
などを支配していたが、1584年の小牧長久手の合戦の際に秀吉についたために織田・徳川連合軍に
攻められ落城し、城主種利は蟹江城で討死したという。
前田利家はこの城で生まれてから荒子城へ移ったという説と、荒子城で生まれたという説がある。
●現状(2006年10月)
城址は速念寺となっていて、前田利家が寄進した阿弥陀如来が本尊とのことである。門の前には
前田城址の碑があり、門にも前田城址の表札がある。本堂の左手には最後の城主・前田與十郎の墓
があり、その近くには中部石川県人会の顕彰碑があり、その横に古い「前田古城跡」となんとか読
みとれる城址碑がある。 ★topへ
★速念寺(前田城跡)(WEB) ★topへ
当寺はもと天台宗に属していたが、天文12年(1543年)、中興の意休法師の時、真宗に転宗した。
意休は俗名前田利則といい、加賀公前田利家の叔父にあたる。また、当寺は前田氏発祥の地で、
境内には前田古城跡の石碑がある。当時の前田氏は蟹江、一色、荒子を傘下に収めていた。
寺伝によると、天文6年、前田城にて利家出生、7歳頃荒子に移る。天正12年(1584年)小牧長久手
の戦で前田城落城。前田一族城主ら三基の墳墓の脇に速念寺は移り鎮魂の寺となる。
その後、利家は金沢城に入るが生まれ故郷を偲び、前田一族先祖の墳墓と土地を守る速念寺に本尊
となる阿弥陀如来を寄進。その蓮台には「聖徳太子御作、前田又左衛門尉利家」の銘がある。
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★龍潭寺(Web) ★topへ
曹洞宗、山号は医王山。康正元年(1455)錦溪大和尚が創建した。市の文化財に指定されている
典型的な唐様式の須弥壇には、本尊の釈迦牟尼仏と文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている。
また、当寺には、藤原時代の木造如来仏頭等三体が保存され、市の文化財に指定されている。
庭一面には約10種類のコケ類が広がり、「名古屋のコケ寺」ともいわれ、古風な禅林のたたずまい
をみせている。
★雨宮社(WEB) ★topへ
創建年は不詳だが、文政2年(1819年)に野田から現在地へ遷宮された。祭神は、明神高ロウ
(雨かんむりに龍)神・志那津比古神・天照皇大神である。神徳は雨を主とし、水の大神として
知られている。別宮に、風神を祭り雨宮・風宮という。秋の大祭には、餅投げ行事が行われている。
★梓ノ木公園
愛知県名古屋市中川区中郷
面積:3481u
最寄駅:高畑駅(0.6km) 八田駅(1.2km) 荒子駅(1.3km)
最寄のバス停:野田小学校(180m) 中郷町(290m) 八王子町(390m)
★宝珠院(WEB) ★topへ
奈良時代の天平元年(729年)に泰澄大師が開創した郷土の古刹である。伊勢湾台風の被害を受けて
いるが仁王像は鎌倉時代作と言われており、歴史を感じる。境内は名古屋市の保存樹である五葉松
の大樹などの庭園を含め特別緑地保全地区に指定されており、四季折々、鳥のさえずる憩いの寺
でもある。
★荒子城址(冨士権現天満宮・荒子城跡)(WEB) ★topへ
創建年は不祥、祭神は木花開耶姫命と菅原道真公である。荒子城主前田利家が勧進した社であり、
荒子城の鎮守神であった。境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存
されている。荒子城は、天文年間(1532年〜1555年)前田利昌の築城、利家も居城し、天正9年
(1581年)廃城となった。
城の規模は「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、東西が約68メートル南北が約50メートルで
あった。
★荒子観音(WEB) ★topへ
浄海山円龍院観音寺、天台宗系単立寺院。本尊は聖観世音菩薩。天平元年(729年)泰澄大師の自作
といわれ、当初は一山十二坊を数えたという一大霊場であったが、その後衰退した。
しかし、永禄年間(1558年〜1570年)全運上人が再興し、天正4年(1576年)加賀百万石の藩祖である
荒子城主前田利家が修造した。その後幾度か改修され、江戸時代から尾張四観音の一つとして栄え
ている。現在でも、節分には大勢の老若男女でにぎわっている。境内には、建立年は不詳だが、
天文5 年(1536年)に再建された多宝塔がある。これは、市内最古の木造建築物で、室町時代の建築
様式をよく表しており、国の重要文化財に指定されている。また、同寺には円空上人作のナタ彫り
仏像が1250体余り残されており、毎月第2土曜日午後1時から4時まで拝観できる。
★若宮八幡社のタブの木(WEB) ★topへ
クスノキ科で、イブキと同様市の西部地区に多い木の代表である。
幹回りが2.55メートル、高さが17.5メートルあり、市内のタブノキでは最大級のもので、若宮
八幡社の社殿の裏に立ち、中川で最初に保存樹に指定された。境内には多くの保存樹があり、
秋には大イチョウの木の下に、ぎんなんを拾う人の姿が見られる。
★八幡社(WEB) ★topへ
クスノキの古木があり、うっそうとした境内に多くの保存樹がある。祭神は応神天皇、創建年
等は不詳で、大祭は毎年10月第1日曜日に行われる。境内には篠原コミュニティンターがあり、
地域住民の活動の場、憩いの場となっている。
★篠原橋郵便局(WEB) ★topへ
都市景観賞(昭和61年度)を受けた建物で、コンクリートの地肌に三角屋根、まっ赤なポスト
マークが印象的である。
★西生寺(WEB) ★topへ
真宗大谷派、山号は宝林山。寺伝によると鎌倉の士木村左兵衛という者が文治年間(1185年〜1190年)
に流浪し、前津の小林に来住、親鸞上人に師事し西光と号した。そして、この地に一寺を建立し、
西光坊と称した。その後、丸米野村に移り、さらに天文元年(1532年)8月に現在の地に移転した。
境内には大きなイブキの木があり、市の保存樹に指定されている。
★烏森駅(wikipedia)参照 ★topへ
愛知県名古屋市中村区牛田通四丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅。
相対式2面2線のホームを持つ高架駅。改札とコンコースは1階、ホームは2階にある。
ホーム長は4両分である。改札口は東口と西口の2ヶ所で、西口のみに駅員が配置されている。
トイレは1階コンコース上にある。
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