第59回友歩会ウォーク例会・史跡巡りシリーズ
・名古屋編part6 12km(下見・例会)(詳細拡大

(下見:平成27年10月17日(土)天気:曇天、参加7名。例会:12月5日(土)晴れ・参加者42名)・今日の歩数:24,448歩

1.開催日時   平成27年12月5日(土) 9時〜(15時)
2.集合場所   近鉄 戸田駅(出発式:直会公園
3.コース等   戸田駅→直会公園(出発式)→鈴宮社→北宮公園→前田城址→龍潭寺→梓の木公園(昼食)
         →宝珠院→(Sコース:高畑駅へ)→荒子城祉→荒子観音→西生寺→近鉄烏森駅

コースマップ参照(pdf)解説コーナー全員集合

友歩会中川区史跡散策路荒川観音界隈コース前田・戸田ふるさとコース「戸田まつり」ゆかりの社



近鉄戸田駅 59p6001

戸田駅前で受付をすます。59n001(12.5)

戸田川を渡る 022

直会公園(出発式会場)  59p6020

直会公園で出発式と準備運動59n004(12.5)

鈴宮社 59p6009

鈴宮社の山車庫 59p6010

鈴宮社   59p6011

北宮公園で休憩 59n014(12.5)

宝蔵院へ032

宝蔵院 033

宝蔵院を出る 59n019(12.5)

下之島公園で休憩59n021(12.5)

前田速念寺 039

59p6041 前田城祉

前田利家郷御遺跡の石柱 59p6040

合掌と兜のデザインの速念寺本堂  047

前田與十郎の墓 045

速念寺住職の解説59n034(12.5)

サンスクリット語59n032(12.5)

土之宮神社 049

庄内川を渡る 59p6055

龍譚寺へ行く 059

雨宮社065

梓の木公園で昼食&全員集合 59n041(12.5)

宝珠院 066

宝珠院の松が見事 063

宝珠院・本堂59p6068

宝珠院を出る 0569

前田利家公誕生遺跡の碑(荒子城) 076

荒子観音59p6080

荒子観音多宝塔 )081

本坊前の円空仏(新聞解説) t084

若宮八幡社 t091

あおなみ線荒子駅前にある前田利家公初陣の像59n078

前田利家公初陣の像(背後は荒子駅)59n084

篠原橋郵便局の斬新なデザイン59p6095

医王寺 096

医王寺のイブキの木 59p6098

烏森駅100

解説コーナー』   topへ


全員集合(その1)


近鉄 戸田駅 (wikipedia)参照    topへ 戸田駅(とだえき)は、愛知県名古屋市中川区水里三丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅。 相対式2面2線のホームを持つ地上駅。ホーム有効長は3両分。駅舎(改札口)は2番のりば側名古屋寄り にあり、反対側の1番のりばへは地下道で連絡している。
直会公園(出発式) topへ 愛知県名古屋市中川区春田 (街区公園) 面積:1248u 最寄駅:戸田駅(0.6km) 春田駅(0.7km) 伏屋駅(1.6km) 最寄のバス停:供米田三丁目(130m) 戸田三丁目(330m) 富田支所(370m)


北宮公園(中川区東春田2丁目)     topへ
愛知県名古屋市中川区東春田 (街区公園)
面積:2138u 
最寄駅:春田駅(0.4km) 伏屋駅(1km) 戸田駅(1.2km)  
最寄のバス停:富田中学校前(220m) 春田三丁目(370m) 伏屋橋(380m 


市指定文化財「戸田まつり」ゆかりの社 戸田まつりの起源は、元禄15年(1702年)と西照寺の記録にある。 一之割から五之割にある山車を引き出して町内を練り、全体として一つのまつりを構成している。 山車の上では文字書きからくり人形、越後獅子からくり人形などが笛太鼓の音に合せて妙技を演ずる。 しかし、毎年山車が出るとはかぎらない。各境内に山車蔵が建っている。 八幡社(一之割)…祭神は応神天皇、創建不詳。 天満宮(二之割)…祭神は菅原道真、創建不詳。 鈴宮社(三之割)…祭神は天宇受売命、創建不詳。 白山神社(四之割)…祭神は伊弉冉尊、創建不詳。 神明社(五之割)…祭神は天照皇大神、創建不詳。
前田城祉(Web)   topへ ■歴史  前田利家を出した前田氏発祥の地とされる。前田氏は前田城を中心に荒子城、蟹江城、下之一色城 などを支配していたが、1584年の小牧長久手の合戦の際に秀吉についたために織田・徳川連合軍に 攻められ落城し、城主種利は蟹江城で討死したという。 前田利家はこの城で生まれてから荒子城へ移ったという説と、荒子城で生まれたという説がある。 ●現状(2006年10月)  城址は速念寺となっていて、前田利家が寄進した阿弥陀如来が本尊とのことである。門の前には 前田城址の碑があり、門にも前田城址の表札がある。本堂の左手には最後の城主・前田與十郎の墓 があり、その近くには中部石川県人会の顕彰碑があり、その横に古い「前田古城跡」となんとか読 みとれる城址碑がある。   topへ
速念寺(前田城跡)(WEB)    topへ 当寺はもと天台宗に属していたが、天文12年(1543年)、中興の意休法師の時、真宗に転宗した。 意休は俗名前田利則といい、加賀公前田利家の叔父にあたる。また、当寺は前田氏発祥の地で、 境内には前田古城跡の石碑がある。当時の前田氏は蟹江、一色、荒子を傘下に収めていた。 寺伝によると、天文6年、前田城にて利家出生、7歳頃荒子に移る。天正12年(1584年)小牧長久手 の戦で前田城落城。前田一族城主ら三基の墳墓の脇に速念寺は移り鎮魂の寺となる。 その後、利家は金沢城に入るが生まれ故郷を偲び、前田一族先祖の墳墓と土地を守る速念寺に本尊 となる阿弥陀如来を寄進。その蓮台には「聖徳太子御作、前田又左衛門尉利家」の銘がある。 topへ
龍潭寺(Web) topへ 曹洞宗、山号は医王山。康正元年(1455)錦溪大和尚が創建した。市の文化財に指定されている 典型的な唐様式の須弥壇には、本尊の釈迦牟尼仏と文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている。 また、当寺には、藤原時代の木造如来仏頭等三体が保存され、市の文化財に指定されている。 庭一面には約10種類のコケ類が広がり、「名古屋のコケ寺」ともいわれ、古風な禅林のたたずまい をみせている。
雨宮社(WEB)     topへ 創建年は不詳だが、文政2年(1819年)に野田から現在地へ遷宮された。祭神は、明神高ロウ (雨かんむりに龍)神・志那津比古神・天照皇大神である。神徳は雨を主とし、水の大神として 知られている。別宮に、風神を祭り雨宮・風宮という。秋の大祭には、餅投げ行事が行われている。
梓ノ木公園 愛知県名古屋市中川区中郷 面積:3481u 最寄駅:高畑駅(0.6km) 八田駅(1.2km) 荒子駅(1.3km) 最寄のバス停:野田小学校(180m) 中郷町(290m) 八王子町(390m)
宝珠院(WEB)  topへ 奈良時代の天平元年(729年)に泰澄大師が開創した郷土の古刹である。伊勢湾台風の被害を受けて いるが仁王像は鎌倉時代作と言われており、歴史を感じる。境内は名古屋市の保存樹である五葉松 の大樹などの庭園を含め特別緑地保全地区に指定されており、四季折々、鳥のさえずる憩いの寺 でもある。
荒子城址(冨士権現天満宮・荒子城跡)(WEB) topへ 創建年は不祥、祭神は木花開耶姫命と菅原道真公である。荒子城主前田利家が勧進した社であり、 荒子城の鎮守神であった。境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存 されている。荒子城は、天文年間(1532年〜1555年)前田利昌の築城、利家も居城し、天正9年 (1581年)廃城となった。 城の規模は「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、東西が約68メートル南北が約50メートルで あった。
荒子観音(WEB) topへ 浄海山円龍院観音寺、天台宗系単立寺院。本尊は聖観世音菩薩。天平元年(729年)泰澄大師の自作 といわれ、当初は一山十二坊を数えたという一大霊場であったが、その後衰退した。 しかし、永禄年間(1558年〜1570年)全運上人が再興し、天正4年(1576年)加賀百万石の藩祖である 荒子城主前田利家が修造した。その後幾度か改修され、江戸時代から尾張四観音の一つとして栄え ている。現在でも、節分には大勢の老若男女でにぎわっている。境内には、建立年は不詳だが、 天文5 年(1536年)に再建された多宝塔がある。これは、市内最古の木造建築物で、室町時代の建築 様式をよく表しており、国の重要文化財に指定されている。また、同寺には円空上人作のナタ彫り 仏像が1250体余り残されており、毎月第2土曜日午後1時から4時まで拝観できる。
若宮八幡社のタブの木(WEB)   topへ クスノキ科で、イブキと同様市の西部地区に多い木の代表である。 幹回りが2.55メートル、高さが17.5メートルあり、市内のタブノキでは最大級のもので、若宮 八幡社の社殿の裏に立ち、中川で最初に保存樹に指定された。境内には多くの保存樹があり、 秋には大イチョウの木の下に、ぎんなんを拾う人の姿が見られる。
八幡社(WEB)    topへ クスノキの古木があり、うっそうとした境内に多くの保存樹がある。祭神は応神天皇、創建年 等は不詳で、大祭は毎年10月第1日曜日に行われる。境内には篠原コミュニティンターがあり、 地域住民の活動の場、憩いの場となっている。
篠原橋郵便局(WEB)    topへ 都市景観賞(昭和61年度)を受けた建物で、コンクリートの地肌に三角屋根、まっ赤なポスト マークが印象的である。
西生寺(WEB) topへ 真宗大谷派、山号は宝林山。寺伝によると鎌倉の士木村左兵衛という者が文治年間(1185年〜1190年) に流浪し、前津の小林に来住、親鸞上人に師事し西光と号した。そして、この地に一寺を建立し、 西光坊と称した。その後、丸米野村に移り、さらに天文元年(1532年)8月に現在の地に移転した。 境内には大きなイブキの木があり、市の保存樹に指定されている。
烏森駅(wikipedia)参照    topへ 愛知県名古屋市中村区牛田通四丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅。 相対式2面2線のホームを持つ高架駅。改札とコンコースは1階、ホームは2階にある。 ホーム長は4両分である。改札口は東口と西口の2ヶ所で、西口のみに駅員が配置されている。 トイレは1階コンコース上にある。 topへ

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