第62回史跡巡りシリーズ・岐阜編Part9 (詳細・拡大)
(平成28年6月4日(土)天気:晴れ) (53名参加) 歩数:29,116歩
下見・平成28年4月16日(土)・歩数:30,653歩・参加者:8名
★コース:スタート−9:00・JR大垣駅→日吉神社→笠縫の里碑→受円寺→赤坂港跡→本陣公園→旧清水家住宅→矢橋家住宅
→金生山化石館→昼飯大塚古墳→旧早野邸セミナーハウス→(勝山)お茶屋屋敷→御首神社→JR美濃赤坂線(荒尾駅)11km
(養老鉄道北大垣駅・下見14km) ★コースマップ(PDF)
大垣市観光協会地球の起原日本・人の起源(地球史年表wikipedia)地質時代
JR大垣駅で打合せ(下見) 62o005 |
JR大垣駅で受付 ak62001 |
JR大垣駅でラジオ体操 ak62004 |
日吉神社 62o008 |
日吉神社の左上(北)から右(東)が鎌倉街道 62o011 |
荻神社 62o014 |
お地蔵さん解説(杭瀬川の大洪水を物語る)ak62w006 |
お地蔵さんak62007 |
史蹟 笠縫の里碑 62o016 |
受円寺表門(木造瓦葺の四足門) 62o022 |
受円寺本堂 62o024 |
鎌倉街道(受円寺の南側) 028 |
輪中堤へ上がるak62011 |
大垣輪中堤にある旧鎌倉街道碑 62o029 |
初夏の好日、大垣輪中堤を行く ak62012 |
権現のぞきの地碑:ここから東軍の陣地を観察した 62o032 |
輪中堤を歩く 62o036 |
杭瀬川の洪水危険レベル水位情報 62o047 |
中山道(左)の道標 62o049 |
中山道赤坂宿 62o058 |
常夜灯と赤坂港会館ak62015 |
杭瀬川と赤坂港の説明を受けるak62018 |
赤坂港会館(m8警察屯所として建築) 62o064 |
中山道と谷汲街道の分岐点に建つ 62o067 |
水運で賑わった杭瀬川の赤坂港跡 (62o066) |
赤坂宿本陣跡・背後は和宮碑(本陣公園) 62o070 |
所郁太郎の像(赤坂本陣公園内) 62o073 |
旧清水家住宅(江戸時代の町役人を務めた家格) 62o087 |
清水家住宅の庭から見る020 |
矢橋家住宅022 |
『赤坂宿』(中山道131里の道程に69次中57番目の宿場)62ow093 東海道の赤坂宿と同名で、区別するために「美濃赤坂宿」と呼ぶ ことがある。このあたりは石灰や大理石の生産、杭瀬川の船運を 中心に栄えた地域で、平安時代末期には「杭瀬川宿」ができてい たとされ、江戸時代には「赤坂港」が設けられ、米、材木、酒、 特産の石灰などが「桑名」あたりまで運ばれた。往時は上り下り する舟が数百艘も見られたという。 本陣1脇本陣1旅籠17 |
谷汲への道標 (64o095) |
矢橋家住宅 62o098 |
中山道赤坂宿脇本陣跡 62o100 |
矢橋グループ本社023 |
和宮お嫁入り普請探訪館(2階建てに見えるが1階建て)026 |
普請探訪館(背後)前でガイドさんの説明を聞く025 |
普請探訪館内の御行列図027 |
和宮御膳再現の店 103 |
濃尾八景・金生山(217m)に登る032 |
金生山神社に着く035 |
金生山神社で昼食037 |
ここが金生山化石館038 |
化石館駐車場からの展望(東に金華山が見える)041 |
化石館駐車場からの展望(大垣市内)043 |
化石館内の標本(ウミユリ他)047 |
アンモナイトの化石 051 |
オオジャコガイ065 |
デボン紀以前&石炭紀・ベルム紀のパネル054 |
中生代・新生代のパネル(地球史年表wikipedia)053 |
館内の展示標本 ak62050 |
サンゴの石灰岩 ak62059 |
地質学者ドイツ人ギュンベル(1823-1898)の紹介056 |
化石館を後にする066 |
お茶屋屋敷へ 62o118 |
お茶屋屋敷の竹林を行く(下見) 62o119 |
お茶屋屋敷のボタン園(下見) 62o123 |
ボタンの花を観賞 62o131 |
お茶屋屋敷の古木 62o140 |
赤坂宿御使者場跡 62o144 |
昼飯大塚古墳(円墳に登る)(下見) 62o160 |
復元ゾーンの解説62o161 |
昼飯大塚古墳の概要を知る068 |
円墳の頂上でガイドさんの説明を受ける071 |
岐阜大学・旧早野邸セミナーハウス62o173 |
早野邸で 62o182 |
勝山(岡山)に登る(下見) 62o185 |
勝山の頂上にある岡山本陣跡 62o190 |
安楽寺本堂(下見) 195 |
安楽寺 196 |
御首神社へ 62o198 |
笠木公園に到着(下見) 62o211 |
養老鉄道北大垣駅(下見) 62o219 |
JR美濃赤坂線・荒尾駅(例会)080 Top |
『解説』 ★コースマップ(PDF) 大垣市観光協会 Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★大垣駅(wikipedia参照) Top 大垣駅は、岐阜県大垣市高屋町一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・樽見鉄道・養老鉄道の駅である。 JR東海の東海道本線、樽見鉄道の樽見線、養老鉄道の養老線が乗り入れている。JR東海道本線に関しては本線と美濃赤坂支線 との分岐駅となっている。樽見線は当駅を起点としている。樽見線は1984年までは東海道本線ともども日本国有鉄道(国鉄) の路線であり樽見鉄道へ転換されて以降も同線の駅は国鉄(→JR)との共同使用駅となっている。 東海道本線美濃赤坂支線については、案内上の名称である「美濃赤坂線」と記述。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★日吉神社 Top 主祭神: 大山咋神(おおやまぐいのかみ) 「摂末社祭神」 住所 :〒503-0015 岐阜県大垣市林町3丁目10番地 境内に沿革が表示されており、寛政時代に当地の開拓者、林景顕の子孫が阿弥陀寺(現顕性寺)の鎮守として勧請する。 鎌倉街道は日吉神社から東進する。(河合幸男著「鎌倉街道」P31参照) ★(map) |
★笠縫の里碑(下記WEB解説(「大垣市内の鎌倉街道推定図」参照) Top 笠縫の里碑<宿地町> 県道大垣揖斐川線の笠縫交差点東北角に設置されている。岐大バイパス河間(がま)交差点から南進、最初の交差点です。 以前は歩道橋があった記憶があるが、道路が拡張され歩道橋もなく、目印のない交差点である。 <十六夜日記> 関よりかきくらしつる雨、時雨に過ぎて降りくらせば、道もいと悪しくて、心より外に笠縫の駅(うまや)という所に とどまる。 旅人は蓑(みの)うちはらう夕暮れの 雨に宿かるかさぬひの里 阿仏尼 <解説> ・・・中世日記紀行集(新日本古典文学大系51) 私旅人は蓑に溜まる雨滴を払い落す程強い夕暮れの雨のために、(予定外に)笠縫の里に宿をとることだ Top−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★受円寺(大垣市web参照) Top 弘仁6年(815)伝教大師最澄の創建と伝えられる。織田信長の焼き討ちにあっているが、東側に創建当時の表門のみが 残っている。(河合幸男著「鎌倉街道」P29参照) 受圓寺正門:指定番号:1号 指定日:平成27年1月15日 住 所:笠縫町553-1 内 容:市重要文化財 ※一般公開(建物内部は非公開)しています。 「概要」 鎌倉街道に隣接する受圓寺の表門は、鎌倉末期から室町時代に建てられた木造瓦葺の四足門で、簡素な組み立てながら、 当時の様式や手法をよく伝えており、鎌倉街道の歴史的な風情を醸し出しています。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★本陣公園(赤坂)(大垣観光モニターツアー参照) Top 赤坂本陣公園 入口に、皇女和宮が赤坂本陣に宿泊したことを記念した、和宮の碑が置かれています。 また、本陣公園内には、美濃赤坂宿出身の所郁太郎の像があります。所郁太郎は、井上馨(外務大臣)が襲撃を受けて、瀕死 の重傷を負ったとき、畳針で傷口を縫い、一命を助けた人物として知られています。 住所 〒503-2213 岐阜県大垣市赤坂町 「概要」 中山道69次の宿場町の一つで江戸時代大名が参勤交代など通行の途次宿泊した高級旅館であった赤坂本陣公園。 現在は建物も無いが新しく幕末の青年の志士所郁太郎の国家社会に尽くした功績を顕彰して銅像が建立された。 また、江戸末期の文久元年(1861)公武合体の名目で、第14代将軍徳川家茂と婚儀が成立し皇女和宮が降嫁された際宿泊され た赤坂本陣跡に和宮をしのぶ顕彰碑がある。 Top |
★金生山化石館 (下記WEB解説参照) Top 昭和39年(1964)に化石研究に生涯を捧げられた故熊野敏夫先生の業績と化石標本の展示・保存のため、赤坂町・赤坂商工会 ・熊野先生顕彰会の努力によって設立された。 現在の建物は昭和60年(1985)に建てられ、平成8年(1996)に大垣市へ寄贈された。 金生山の自然と文化を、さらに調査・研究し、資料の収集・整理・保存に力を入れ、化石についての理解を図る施設です。 『展示資料』 ・ジオラマ「赤坂の海」解説 ・金生山(217m)とは「地質図・航空写真・地質模型等」 ・失われた世界「図説」 ・金生山産化石および各地の化石標本 Top |
★旧早野邸セミナーハウス(Web)(大垣市昼飯町1777) Top 明治20年建築。(切り妻造り母屋) コンセプト:赤坂宿の古民家を活用した岐阜大学の活動の場。古民家の歴史と文化の趣のある空間の継承。教育の場、学術研究の フィールドワークの活動拠点。歴史的資料等の展示。地域へのサービスの提供と交流。 開館時間は火曜日〜土曜日(10:00〜16:00) 休館日:日曜日・月曜日・祝日 問い合わせ先:0584-71-0151 |
★勝山 Top 岡山は海抜53メートルの丘陵で、慶長5年(1600)の関ケ原合戦のとき、東軍の総大将徳川家康の本陣が構えられたところ です。天下分け目の大合戦に勝利を得た家康は、ここを徳川ゆかりの地と記念して、岡山の名を勝山に改めたと伝えられて います。 「住所」〒503-2213 大垣市赤坂町 Top |
★御首神社(WEB参照) Top「由緒/ご利益」 今から約千年前、平将門は時の朝廷の政策に憤りを覚え乱(天慶の乱)を起こした。しかし藤原秀郷・平貞盛等に鎮められ、 将門は捕えられ首を討たれた。その首は京都に送られさらし首となったが、故郷恋しさのあまり獄門を抜け出し関東へ戻ろう と飛び立った。この異変を知り、美濃の国南宮神社では、将門の首が関東に戻ることにより再び乱の起こることを恐れ祈願し たところ、神社に座す隼人神が矢をつがへ東に飛びゆく将門の首を射落とした。 (その時、隼人神の射た神矢が飛んでいった道筋を矢の通った道であるとして、現在の大垣市矢道町がある。) この首が落ちた荒尾の地に将門公を神として崇め祀ることによって再びその首が関東に戻らぬよう、その怒りを鎮め霊を慰め るために創建されたのが、御首神社であると伝えられています。 そのため当社は、桓武天皇第六代の皇胤平将門公の御神霊をお祀りしている神社であり、その御神徳は古くより知られ首から 上の諸祈願に霊験あらたかで、全国各地からの参拝があります。特に年明けには、中学生や高校生の受験生が多数詰めかけ、 普段のご祈祷と相俟って拝殿は身動きも出来ないくらいの混雑を呈します。 また、正月三ヶ日は参道が参拝者で埋まり、一日中長蛇の列が延々と続きます。近年は首上の病気平癒はもとより、健康 (ぼけ防止)や学業成就を中心に、交通安全・家内安全・商売繁盛・厄祓いなどが願われています。 首上のご神徳から、帽子やスカーフなど首から上の着装品の奉納が数多くあり、病気回復や勉学の向上等が祈願されます。 Top |