第77回史跡巡りシリーズ・名古屋編Part12 (詳細・資料)
(平成30年12月1日(土)天気:晴れ) (40名参加)歩数:23,623歩
下見・平成30年10月20日(土)天気:晴れ 歩数:21,702歩 (9名参加)
★コース:
スタート−9:00・地下鉄・平針駅→慈眼寺→針名神社→農業センター→でこぼこ山→細口池公園→
天白公園→天白川→全久寺→稲葉山公園→張屋公園(解散式)→植田川緑道→塩釜口駅(11Km)
★コースマップ(PDF) ★『解説』欄へ (★日清戦争・★日露戦争・★太平洋戦争)★天白区の概要(名古屋市HP)★全員集合
地下鉄平針駅で受け付けの後コース説明003 |
地下鉄平針駅をスタート(Am9:13) 004 |
慈眼寺へ(2018.10.20) 77ten003 |
慈眼寺の紅葉(2018.12.1)77kai009 |
慈眼寺の日清戦争・日露戦争・太平洋戦争慰霊碑(右)下見013 |
針名神社(解説)へ 015 |
針名神社/本殿 016 |
名古屋市農業センター(HP)へ 19 |
農業センターのしだれ梅 20 |
農業センター 21 |
農業センター展示温室77kai016(12.1) |
農業センター展示温室77kai017(12.1) |
農業センター/成牛舎021 |
農業センター/フェニックス鶏舎026 |
農業センター/鶏舎028 |
農業センター/めん山羊放牧場029 |
農業センター/卵の孵化041 |
農業センター/牛の放牧場042 |
農業センター/竹林を通り抜けて南門へ045 |
でこぼこ山へのぼる047 |
でこぼこ山048 |
細口池公園案内(洪水調節容量:29,900立方メートル)051 |
秋の細口池公園(10.20) 019 |
細口池公園を歩く22 |
天白公園へ 030 |
天白公園(昼食) 032 |
天白公園・取水口 037 |
天白公園を後にする 038 |
天白川上流 043 |
天白川沿いの植田緑道(右は天白川) 046 |
植田八幡社 049 |
植田八幡社本殿 051 |
福田山全久寺へ 053 |
全久寺・本堂(禅宗) 056 |
全久寺・本堂内部 060 |
観音堂 061 |
泉称寺 062 |
高田派・栄久寺 064 |
稲葉山公園へ 068 |
稲葉山公園からの展望・東山タワーが見える 77reikai068 |
展望(中央は東山タワー)reikai069 |
張屋公園でクールダウン(解散式)13:48 070 |
植田川を渡り地下鉄塩釜駅に向かう 072 |
地下鉄塩釜口駅(wikipedia) (13:58) 080 |
『解説』 ★コースマップ(PDF) Top −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ★地下鉄・平針駅(wikipedia)&★針名神社(HP) Top 平針駅(ひらばりえき)は、愛知県名古屋市天白区平針2丁目にある、名古屋市営地下鉄鶴舞線の駅。 駅番号はT19。相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。出入口は2ヶ所。 当駅は、鶴舞線駅務区八事管区駅が管轄している。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 地下鉄平針駅(wikipedia)と秋葉山慈眼寺/針名神社(右下)及び飯田街道 ★針名神社の創建は古く、延喜式神名帳の”従三位針名天神“の記載により、今から約1100年以上前と推察できる。 「延喜式」とは、延喜五年(905年)に醍醐天皇の命により編纂が開始された「養老律令」の施行細則を集大成した全五十巻 に及ぶ古代法典である。この「延喜式」の第九巻・第十巻に記載されている神社のことを式内社と呼び、針名神社も式内と 冠しているのはこの史実によるものである。 元々は現在地より約800m北、天白川左岸の元郷に祀られていたが、慶長年間 (1612年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在の社地に遷し祀られたとされる。現社殿・社務所・ 手水舎等は昭和天皇御即位五十年の奉祝記念事業として昭和51年11月6日に竣功した。 境内地は約一万二千坪を有し、名古屋市内でも有数の規模を誇る神社である。 「境内」 ○主祭神尾張 針名根連命(おはりはりなねむらじのみこと) ○相殿神大巳貴命(大国主命)(おほむなむみのみこと(おおくにぬしのみこと)) ○少彦名神(すくなひこなのかみ) ○応神天皇(品陀和気命)(おうじんてんのう(ほむだわけのみこと)) 主祭神の尾治針名根連命(おはりはりなねむらじのみこと)は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の御祭神でもある 天火明命(あめのほあかりのみこと)の十四世孫にあたり、父の尾綱根命とともに犬山市の針綱神社にも祀られている。 古代豪族尾張氏の氏神と考えられております。 配神として、大巳貴命(おおなむちのみこと)又の名を大國主命(おおくにぬしのみこと)また、記紀神話の国造りの際に 全国を回って国土開拓を協力した神とされる少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っている。 なお八幡神(応神天皇〔品陀和気命〕)を明治42年に合祀している。★名古屋神社ガイド Top |
★飯田街道(wikipedia)飯田街道(いいだかいどう)と呼ばれる街道は諸説あり、現在も、歴史的にも複数存在する。 愛知県名古屋市から、愛知県豊田市を経由して長野県に入り、長野県根羽村、阿智村を経て飯田市へ到る道。 静岡県浜松市内の飯田地区に通ずる主要道路。★飯田街道名古屋市 |
★慈眼寺(WEB参照) 天白区天白町大字平針大根ケ越206 Top秋葉山 慈眼寺 (友歩会の第77回例会見所参照) 県道56号線 平針欠下交差点 南西170mの場所にある寺院。 針名神社の北200mで針名神社の神宮寺なのか? Top Top ★日清戦争(wikipedia) Top 日清戦争は,1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。 なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日であり、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。 李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡る争いが直接の原因となって引き起こされ、主に朝鮮半島と遼東半島よび黄海で両国 は交戦し、日本側の勝利と見なせる日清講和条約(下関条約)の調印によって終結した。 講和条約の中で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させた他、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島 を割譲され、また巨額の賠償金も獲得した。しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放す事になった。 戦争に勝利した日本は、アジアの近代国家と認められて国際的地位が向上し、受け取った賠償金は国内産業の発展に活用されて 日本は本格的な工業化の第一歩を踏み出した。 Top |
★名古屋市農業センター(ホームページからのメッセージ) Top農業センターは、名古屋市の農業振興をはかるため、昭和40年4月1日に開設され、農業技術の普及・指導を行ってきました。 今では名古屋の都市化にともない、農業に親しむ機会の少なくなった市民に、農業に親しみながら、ゆったりと憩うことのできる 施設として利用されています。 ウシやヒツジの放牧場、さまざまな鶏がみられる展示鶏舎、ふ化の見られるふ化展示室などの畜産施設、花の展示施設、野菜の 栽培温室、野菜の畑などの園芸施設、芝生広場と約700本のしだれ梅園などを自由にご覧いただけるほか、農業センターで搾った 生乳を使ってつくられた牛乳・アイスクリームも楽しめます。★名古屋観光情報(農業センター)★(友歩会の第77回例会見所参照) |
★でこぼこ山 Topでこぼこ山は、名古屋市天白区平針南3丁目に位置しています。 市街化され、憩いの場となっています。 |
★細口池公園 Top細口池公園は天白区の南東に位置し、細口池を中心に形成され、面積約4haに及ぶ公園です。 サクラが綺麗な公園で、ウォーキングを楽しんでいただくこともできます。 「概要」洪水被害防止のために作られた一時的貯留施設。洪水調節容量は、29,900立方メートル。 貯留面積:2.56Ha。(案内看板による) |
★天白公園 Top 天白区のほぼ中央に位置し、起伏に富んだ地形と、3つの山と大きな池を擁し、東部丘陵の自然を残しています。 |
★天白川 Top愛知県日進市東部の名古屋商科大学の西南隣接地にある三ヶ峯上池付近に源を発する。日進市を西へ流れ名古屋市へ入ると 天白区を横断。各区および東海市の境界を流れ、名古屋港へ注ぐ。 天白川大橋付近から星園橋付近までは天白川緑道として整備されている。 名称は下流の名古屋市緑区鳴海町にあった『字天白』(旧東海道にある天白橋のすぐ東隣の土地のこと)にその昔『天白神』 が祀られていたことによるものである。 天白川の名前は明治時代になってから名づけられたものであり、それまでは米野木川と呼ばれていた(同時に社川と呼ばれて いた支流は植田川と称することになった)。これは当時の愛知郡植田村(現在の名古屋市天白区植田)では米野木川も社川も『 植田川』と呼ばれており、紛らわしいため名称を整理したものである。 江戸時代の頃から水害が度々起きており流路が幾度も変わっている。途中にダムは一つも存在しない。 |
★植田八幡社(WEB解説参照)★(友歩会の第77回例会見所参照)天白区植田にある八幡社。植田八幡社とも、植田八幡宮ともいう。神社名石碑には八幡社とあり、拝殿の額は八幡宮となって いる。愛知県神社庁の一覧には植田八幡宮とあるからそれが正式名かもしれない。 室町時代中期の1470年頃、遠江の国衆(現在の静岡県菊川市)だった横地一族の横地秀綱がこの地にやってきて、植田城を築く とともに八幡社を創建したとされる。 横地秀綱を遠江横地城主14代目とし、今川義忠(義元の祖父)によって城が攻め落とされたためこの地にやってきたとする説が あるが、14代目は横地秀国で、横地城落城は1476年だから、その説は正しくないと思われる。秀綱と秀国がどういう関係にあった のかは不明ながら、秀綱がこの地にやってきたのは、室町幕府8代将軍・足利義政の命だったというから、秀綱が重要な人物、 もしくは有能な人物だったということだろう。 1470年といえば、1467年に始まった応仁の乱が京都から全国に飛び火して泥沼化している時代で、義政の後継者争いもその 要因のひとつだった。 植田城は現在の郷藪公園のあたりにあったと考えられている。植田八幡社から見て東南約200メートルほどの場所だ。 植田城ならびに植田八幡社は、江戸時代に駿河街道(のちに飯田街道)と呼ばれることになる道沿いに建てられた。 すぐ南を天白川が流れている。 植田八幡社は、植田八幡社古墳と呼ばれる全長80メートルほどの前方後円墳の上にある。昭和49年(1974年)、神社が大改修 を行ったときに大部分を削り取ってしまって原形をとどめていない。 古墳時代中期というから500年代あたりだろうか。80メートルというと東海地方ではかなり大きな部類で、一説によると埋葬者 は尾張針名根命(おはりはりなねむらじ)の可能性があるという。 尾張氏の祖とされる天火明命(アメノホアカリ)の十四世孫で、タケイナダネ(建稲種命)の孫に当たる。同じ天白区にある 式内社の針名神社や犬山市の式内社・針綱神社に祀られている重要人物だ。 もしそれが本当だとすれば、いくら神社の敷地内のこととはいえ、そう簡単に壊していい古墳ではなかった。おそらく古くから 何らかの神を祀る社があったはずだ。 横地氏のルーツは、源八幡太郎義家の落し子、横地家永に始まるとされる(豪族・相良氏の娘との間にできた庶子)。 鎌倉時代には幕府の御家人となり、室町時代には遠江の一部を支配する国衆となっていた。 ちなみに、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊家があったのは浜名湖の北、西遠江の井伊谷(いいのや)で、横地氏の 横地城は東遠江の菊川なので直接対決はなかったと思われる。ただ、どちらも今川、武田、徳川といった大名家によって運命を 左右されたという点では共通点している。 源氏の流れを汲む横地氏が自分の城や領民の守護神として八幡神を祀ったのはごく自然なことだ。 全久寺も秀綱によって1471年に建てられたと伝わっている(水害によりのちに植田山に移転)。 戦国時代の1580年。信濃の小県郡(ちいさがたぐん)の国衆だった室賀正武が真田昌幸に殺され(NHK大河ドラマ「真田丸」で 描かれた)、息子の久太夫(きゅうだゆう)はつてを頼って植田城にやってきた。 その久太夫によって植田八幡社が修繕された と『尾張志』(1844年)にある。 久太夫のとりなしによって横地氏は徳川方につくことになり、貢献が認められ、江戸時代を通じて植田村は年貢を納めること 以外の雑役(工事などに借り出されること)を免除された。 それを感謝して、植田八幡社には初代城主の秀綱と横地権蔵(権蔵は代々城主が名乗った名前)が合祀されることになった。 久太夫は出世して尾張藩士となり、横地家は郷士(下級武士資格の農民)となってこの地に土着したという。 |
★全久寺 Top ★(友歩会の第77回例会見所参照)伊勢湾の内海にあり、自然あふれる場所にたたずむ寺院です。 寺院内にある仏像は鎌倉時代、室町時代のもので、南知多町の文化財です。 |
★稲葉山公園 Top施設名称:稲葉山公園/所在地:愛知県名古屋市天白区植田1丁目/交通アクセス:「植田駅」下車 徒歩5分 |
★植田川緑道 Top愛知県長久手市大字長湫にある雨水調整池に源を発する。以前は雨水調整池よりも南方にある愛知淑徳大学長久手キャン パス北端の山中周辺を水源としていたが、愛知万博ながくて南駐車場の整備に伴う造成により、河川改修の末、現在の 水源地に変更された経緯がある。名古屋市名東区に入り、猪高緑地公園脇の東名高速道路名古屋IC付近から名古屋市営 地下鉄東山線の高架下に入り(名古屋市営地下鉄東山線は本郷駅と上社駅の区間がこの川の真上に高架で建設されている。) 名古屋第二環状自動車道及び名古屋環状2号線に沿うような形で本郷及び上社各地区を経て高針地区と天白区植田地区を流れ そこから愛知県59号名古屋中環状線と並行し、天白区大字島田字曲尺手で天白川に合流する。 |
★塩釜口駅(wikipedia) Top 名古屋市営地下鉄鶴舞線の駅である。駅番号はT16。 近隣に名城大学天白キャンパスがある事から駅案内板の駅名には名城大学前と付記されている島式ホーム1面2線を有する 地下駅。改札口は1ヶ所で、出入口は3ヶ所。当駅は、鶴舞線駅務区八事管区駅が管轄している。 「塩釜口駅と飯田街道及び東に稲葉山公園」 Top |
★2018.12.1 友歩会ウオーキング参加の皆さん(天白公園)Top 77kaiz056 |