一宮友歩会・第46回ウオーク例会 (詳細)・(拡大版:説明)
河川探訪・境川編Part1
(下見:平成25年8月31日(土)天気:晴れ 例会10月5日天気:晴れ)
午前7時00分自宅発>JR一宮駅7:51>名古屋駅乗り換え>豊明駅8:39>
受付・準備運動後9:10出発>オシロ池(大府)→極楽寺(大府)→普門寺(大府)→藤井神社(大府)→
日高公園(刈谷市)→中手山貝塚(刈谷市)→医王寺(刈谷市)→(Sコース:逢妻駅・刈谷市)→
→椎の木屋敷(刈谷市)→亀城公園(刈谷市)→本刈谷神社・(本刈谷神社)→刈谷市駅→帰宅 (★コースマップ(PDF)参照)
(8.31)下見の参加者:6名、歩数:34,736歩)(10.5例会の歩数:29,089歩、参加者34名)
「解説」★オシロ池(大府)★藤井神社★日高公園★★中手山貝塚 ★医王寺(刈谷市)★椎の木屋敷(刈谷市)★刈谷城
★亀城公園★本刈谷神社・(本刈谷神社) ★全員集合:日高公園
★友歩会参照
名鉄豊明駅、集合は9時 |
受付、参加者は34名 saka001 |
豊明市から刈谷市へsaka002 |
★境川へ |
境川堤防を歩く |
刈谷市〜大府市へ。境川は今でも各市の境になっているsaka006 |
阿弥陀寺で小休憩 |
オシロ池 |
★オシロ池の説明 sp1060 |
近崎神明社では駆け馬祭り(10.6)の柵がしてあったsaka008 |
五箇村川改修碑 t064 |
惣作遺跡の標柱 t078 |
極楽寺へ |
★極楽寺 sp1067 |
極楽寺・弘法堂 |
弘法堂の千体仏 |
極楽寺・弘法堂の千体仏 069 |
普門寺(木造11観世音菩薩立像は大府市指定文化財)073 |
藤井神社(由緒記) |
30センチ砲弾の由来(藤井神社)075 |
藤井の泉址の碑と大府市保存樹木のクスノキの巨木saka022 |
藤井神社由緒記と県・市の指定文化財saka024 |
境川を渡る 079 |
逢妻川(あいづまかわ)を渡る 082 |
日高公園 084 |
日高公園(昼食)085 |
中手山神明社の大イチョウsaka033 |
中手山神明社由緒記(ハイガイを中心とした縄文後期の貝塚)035 |
中手山神明社(貝塚) 089 |
医王寺098 |
中手山神明社の神木銀杏t091 |
銀杏 t092 |
カヤの巨木(市杵島神社)t094 |
市杵島神社 t095 |
医王寺の旧本堂・鬼瓦 |
椎の木屋敷跡へ 103 |
1710年頃の椎の木屋敷跡saka041 |
於大の方の像saka040 |
於大の方由緒の地の碑 |
刈谷藩・文禮館跡110 |
刈谷市郷土資料館(亀城小学校旧本館)・登録有形文化財115 |
★常夜灯 116 |
町口門・ここから刈谷城祉に向かう042 |
大手門跡を通って043 |
三の丸跡を過ぎて044 |
刈谷城址の二の丸跡へ着く045 |
ここ(亀城公園)が刈谷城址の本丸跡 |
亀城公園案内の碑(下図参照) |
豊田佐吉(慶応3(1867)〜昭和5(1930))の解説047 |
豊田佐吉(T12/1923刈谷町に豊田紡織(株)設立)胸像046 |
★亀城公園123 |
亀城公園 |
亀城公園解説(下記解説参照) |
亀城公園@ |
亀城公園A |
公園に隣接する刈谷球場 |
市原稲荷神社133 |
左逢妻川 右境川 137 |
漁船の係留 |
五箇村川、境川、逢妻川の碑142 |
★本刈谷神社(境内に本刈谷貝塚) |
本刈谷神社ご神木のスダジイ 145 |
本刈谷神社 148 |
亀城公園の樹木 |
本刈谷神社ご神木のスダジイ(推定樹齢300年) |
本刈谷神社貝塚の碑(貝塚の説明は(★拡大版)参照) (Top) |
午後2時頃、名鉄刈谷市駅に到着。(例会は3時過ぎ着)151 |
河川探訪シリーズ・境川編part1】15km 例会案内から (Top)
第46回ウォーク例会のご案内 (★コースマップ(PDF)参照)
河川探訪シリーズ・境川編part1 15km
1.開催日時 平成25年10月5日(土) 9時〜(15時)
2.集合場所 名鉄豊明駅
3.コース等 豊明駅→オシロ池(大府)→極楽寺(大府)→普門寺(大府)→藤井神社(大府)→日高公園(刈谷市)→
中手山貝塚(刈谷市)→医王寺(刈谷市)→(Sコース:逢妻駅・刈谷市)→椎の木屋敷(刈谷市)→亀城公園(刈谷市)→
本刈谷神社・(本刈谷神社)→刈谷市駅→名古屋駅→一宮駅→帰宅 (Top) ★友歩会参照
|
主な見所の説明(★友歩会参照) (Top)
◎境川(友歩会参照)
愛知県の中央部を流れ衣浦湾に注ぐ2級河川。かつての尾張国と三河国の境界線上を流れている。
みよし市と豊田市の境界上にある長田池というため池を源とする。みよし市内を縦断し、愛知郡東郷町内に
入った後、東郷町とみよし市の境界線、東郷町と刈谷市の境界線、豊明市と刈谷市の境界線、大府市と
刈谷市の境界線、知多郡東浦町と刈谷市の境界線上を流れ、衣浦湾に注ぐ。
河口より約5km上流から逢妻川および五ヶ村川と並行する形で流れ、河口付近でこれらの川と合流する。
延長24.2km、流域面積264平方キロ。 Top
◎極楽寺(友歩会参照)
1620年養誉善栄比丘によって開かれた知多四国第2番の札所。弘法大師をまつる弘法堂には大正時代
から参拝者の寄進された千体もの大師像が並び、「千体弘法」として親しまれている。 Top
★オシロ池(大府の民話から) Top
北崎地区に伝わるお話。むかし、小高い丘の上にある池のほとりに、お地蔵さんが立っていました。
不思議なことに、そのお地蔵さんは、両手が金のようにピカピカと輝いていました。やがて、そのお地蔵さん
の評判は村から村へと口伝えに広がり、遠くの村からも大勢の人がお参りにくるようになります。
すると村人は「盗まれては大変だ」と、お地蔵さんを人目につかない場所へ移しました。
時が経つにつれて、お地蔵さんのことは人々の話題にならなくなりました。しかし、池だけは、村人から
「お地蔵さんの後ろ池」と呼ばれて、前と変わらない青い水をたたえていました。やがて、お地蔵さんの後ろ
の池は「後ろ池」と呼ばれるようになり、それが、いつしか「オシロ池」といわれるようになりました。
★藤井神社(Web参照) 藤井神社解説(Web) (Top)
尾張の国は大府の横根に、藤井神社ありと聞こえていました。
今で言えば、愛知県大府市横根町のことです。 ここに横根藤井神社があります。
「藤井」というのは、藤の木のある井戸という意味です。
祭りともなれば、立派な山車が勢ぞろいし、古式ゆかしい三番叟が奉納されます。
夏の夜には幻想的な無数のアンドンに火が灯され、子供たちの書いた絵が浮き出てきます。
学問の神様で知られている天神社もあります。 この天神社のお祭りとして、天神祭もとりおこなわれます。
横根藤井神社には県文化財指定の社宝瓶子があることや、神社庁から七等級に認められているなど、由緒ある
一人前の神社と言っても良いのではないでしょうか。
※◎藤井神社(友歩会参照)
大府市横根町にあり,天照皇大神など三柱を祭神としている。創建の年代ははっきりしないが,社伝によれ
ば1191年(建久2)、全国を手にした源頼朝は父義朝の菩提を弔うために美浜町野間の大御堂寺に参拝した。
その際、この地に藤井大明神を勧請したと言われる。神社には「藤井宮大明神御酒瓶子」と刻まれた鎌倉時代
の陶製瓶子(びんす)が伝えられている。御神酒を献ずる器で、昭和45年に県指定文化財に指定されている。
★日高公園(★刈谷市・wikipedia) (Top)
刈谷市(かりやし)は、愛知県のほぼ中央の西三河地区の西端に位置する市。境川を挟んで尾張の大府市と豊明市
に対する。江戸時代には土井氏二万三千石の城下町であった。現在はトヨタグループ主要企業の本社や工場が集
まる日本有数の自動車工業都市である。日高公園はしだれ梅で有名。 Top
★中手山貝塚・縄文時代(刈谷市・pdf資料) Top
★埋蔵文化財(中手山貝塚pdf資料) (Web解説参照)
★参考:南山大学・人類学博物館
【その他Web記事】
★「中手山貝塚」
時代縄文 所在地愛知県刈谷市中手町5-72・5-95・5-96・5-100 緯度経度35.005694, 136.987139 遺構概要貝塚。
<現況>神社/公園 遺物概要map88:縄文土器+石鏃+石斧+貝輪
発掘概要 その他概要LCd4/ON10/PN/。map88:10-53007。<全国遺跡地図番号>9-315。
Top
★医王寺(刈谷市) Top
【薬師堂/本尊薬師如来/乳薬師】【水子地蔵尊】
【慶長年間(1596)安土】
【碧海郡高津浪村】【逢妻村】【刈谷町】【高津波】
【高津波町/たかつなみちょう】 Top
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※高津波地区は刈谷市のほぼ中央に位置し、東西に長く西方は逢妻川、境川に接し三田町の田園風景が広がって
います。古くは衣ケ浦の波が打ち寄せていた所からここを高津波潟と呼ぶようになり、海上交通の玄関口として
医王寺門前が港であったと言います。
(★衣浦湾の歴史参照)
★刈谷城 Top
刈谷城は現在の刈谷市城町1丁目にあった城。別名「亀城」と呼ばれる。
「歴史」
天文2年(1533年)水野忠政により築城。築城後忠政は本拠地を緒川から刈谷に移しており、徳川家康生母於大
は刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁している。於大は父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についた
(織水同盟)ため松平氏を離縁された後も刈谷城近くの椎の木屋敷で久松氏に再嫁するまでの日を過ごしている。
5代百年の水野氏の居城を経て、寛永9年(1632年)に深溝松平家入城、その後久松松平家(1649年)、稲垣氏
3代(1651年)、阿部氏2代(1702年)、本多氏(忠勝系、1710年)、三浦氏3代(1712年)と頻繁に城主の
交代があった。(城主の詳細については刈谷藩を参照)1747年より土井氏が入封し9代の支配の後、明治4年
(1871年)の廃藩を迎え、城は破却された。
明治時代以後城域地は国有化された後、旧士族に払い下げられた。さらに昭和11年(1936年)刈谷町が譲り受け
公園として整備されたが戦時中には軍の高射砲陣地が置かれ老松は切り払われ荒廃した。 戦後に至り徐々に
植栽・公園整備され現在は桜の名所となっている。
また旧三の丸には藩校文礼館の流れを汲む刈谷市立亀城小学校および刈谷市郷土資料館(国の登録有形文化財)
が建つ。 隅櫓や石垣、城門を復元する再整備計画があり、2015年度に刈谷市歴史博物館、2017年度に隅櫓や
石垣の完成が予定されている。
★刈谷藩(wikipedia)参照 Top
★なお刈谷城の歴史は拡大版の説明をご覧ください。
★刈谷城現況対照図もご覧ください。
★椎の木屋敷(刈谷市) Top
徳川家康の生母‘於大の方’が住んだとされる屋敷跡で、現在では東屋と於大の方の座像を配した庭園として
整備されています。
刈谷城から北東の方面に堀一つ隔てたやや小高い丘にありました。「屋敷」とありますが、このあたり一帯の
ことを言うようです。この辺りに大きな椎の木が何本も茂っていたことからそう呼ばれるようになりました。
徳川家康の生母、於大の方が岡崎の松平広忠から離縁された後、阿久比の久松俊勝へ嫁ぐまでの間移り住んだ
といわれています。江戸時代には霊地とされ、一般には出入りが禁止され、鍵がかけられていました。
中には数基の五輪の塔と地蔵尊が立っていたといわれます。
現在は東屋と於大の方の座像を配した庭園として整備され、静かな住宅街の中で市民の憩いの場として親しま
れています。
Top
★亀城公園(wikipedia・刈谷市)Top
亀城公園(きじょうこうえん)は、愛知県刈谷市にある公園である。公園分類は総合公園。亀城公園の亀城とは
刈谷城が別名「亀城」と呼ばれていたことに由来する。
概要
1553年(天文2年)水野忠政が築城した刈谷城跡を1936年(昭和11年)当時の刈谷町(現・刈谷市)が譲り受け、
本丸と二の丸の一部を公園化したものである。
1941年(昭和16年)太平洋戦争が開戦し本丸の高台が高射砲陣地として使用され荒地となっていたものの、
1969年(昭和44年)に高台一帯を日本庭園を整備するなど幾度かの植栽や整備が行われ現在の姿となった。
また、隅櫓や石垣を復元する再整備計画があり、2015年度に刈谷市歴史博物館、2017年度に隅櫓や石垣の完成を
予定している。
園内にはソメイヨシノが約650本植えられ桜の名所となっている。3月下旬から4月上旬には桜まつりが開催され、
5万人以上の花見客が訪れる。また、亀城公園運動広場や、刈谷球場、刈谷市体育館、武道場などの運動施設を
敷地内に有する。
★刈谷市亀城公園 Top
★本刈谷神社・(本刈谷神社) ★本刈谷神社(Web) Top
神社名:本刈谷神社
鎮座地:愛知県刈谷市天王町四丁目九番地
面積:6627平方メートル
御祭神:誉田別尊(応神天皇・八幡さま)、須佐之男命(牛頭天王)、菅原道真公(天神さま)
(以上御祭神三柱を本刈谷神社の大神と奉称している。)
創建:文武天皇大宝年間(701〜703)
神紋:左三巴に本
社格:旧村社、十等級社
例祭:10月
月次祭:毎月第1土曜日
《御事歴》
当神社は従来元刈谷地内鎮座の八幡社、八雲社、北野社の三社を合祀したもので、八幡社は文武天皇大宝年間
(七〇一〜七〇三年)に建立され当地開闢の祖神を祀ると云われ、歴代の刈谷城主の最も信仰された三社のうち
の一社であった。
八雲社は伏見天皇永仁二年(一二九五年)十月に勧請され牛頭天王さまと称したが明治元年八雲社と改めた。
北野社は天文年間(一五三二〜一五五四年)野口天満宮と称したが明治元年に北野社と改称した。
以上の三社を大正二年十月十二日現在地(旧八雲社々地)に合祀し旧村社として氏子、崇敬者の信仰甚だ厚い
神社であるが昭和二十年八月敗戦により神社制度が改革され、昭和二十七年八月宗教法人神社本庁所属愛知県
神社庁指定十等級神社となった。
《御神徳》
誉田別尊(八幡さま)は昔から上朝廷を始めとして上下の階級を問わず、広く人口に膾灸され鎌倉時代の源氏、
室町時代の足利氏に至っては夫々幕府の宗祀として中世期を通じ武家の信仰が厚く後々まで部門の守護神として
奉戴されるとともに特に農業、産業の守り神である。
須佐之男命(八幡さま)は農耕の神、雨乞いの神であり又、行疫神として悪事災害や疫病を除く守護神として
あがめられている。
菅原道真公は詩文に秀で、特に筆跡に優れ、空海、道風とともに三聖と称せられ、其他諸芸に通じた学問の神様
として出世開運、学業成就の守り神である。
《境内末社》
山神社 大山祇神(伊弉諾、伊弉册の二神の御子で山を司る神)を祀る。
神明社 大日要貴命(天照大神)を祀る。昭和十六年九月元刈谷字内中市流作新田の守護神を当境内に遷座した。
明治川神社 明治用水の神を祀る。昭和三十年十二月勧請した。
報国神社 西南の役より明治、大正、昭和の大戦の戦死者を祀る。昭和五年三月三十日東京靖国神社より勧請
して創建された。 Top
※本刈谷神社
元刈谷地内にあった八雲社・北野社、熊村地内にあった八幡社の3社が大正3年に合祀され、八雲社の
あった場所に奉還して本刈谷神社となりました。3社の祭神であった須佐之男命・菅原道真・誉田別命
を祀っています。
神社は衣浦を挟んだ三河地方最大の縄文晩期貝塚として位置付けられている本刈谷貝塚跡(県指定史跡)
の上にあります。貝塚から出土した縄文晩期前葉の土器文化を代表する元刈谷式土器や石製品、骨角・
貝製品、人骨などは刈谷市郷土資料館で展示されています。
所在地:刈谷市天王町4
|
★衣浦湾の歴史参照
衣ヶ浦最奥部の刈谷市と大府市、東浦町の間に挟まれた一帯はかつて海であった。現在、この辺りは逢妻川
(あいづまがわ)、境川、五箇村川が並んで南の下流部で合流している。しかし、江戸時代末期まではこの
辺り一帯は海であった。この入り海と境川を境界にして東が苅谷藩、西が尾張藩であった。 |
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