一宮友歩会・第52回ウオーク例会 
(詳細)(拡大版)
 河川探訪・境川編Part2 
(下見:平成25年8月30日(土)天気:晴れ 例会10月4日(土)天気:晴れ)

午前7時20分自宅発>名鉄一宮駅7:45>前後駅乗り換え>豊明駅8:32>

受付・準備運動後9:10出発>阿野八剱社→大久伝八幡宮→一之御前安産水→円福寺→
祐福寺→境川緑地→見性寺(刈谷市)→永福寺→刈谷市水源浄水場→豊明駅→帰宅 
コースマップNo52(PDF)参照)

(8.30)下見の参加者:10名、歩数:33,871歩)(10.4例会の歩数:31,341歩、参加者25名)


「解説」阿野八剱社大久伝八幡宮一之御前安産水円福寺祐福寺境川緑地見性寺
永福寺刈谷市水源浄水場豊明駅全員集合


友歩会参照 豊明市指定文化財参照) 豊明市(wikipedia) 豊明市


名鉄豊明駅(普通)下車、集合は9時sp1050

受付、参加者は25名(10.4) saka001

八剱神社由緒記sap2001

八剱神社石灯籠・万延元年8月(市指定有形文化財) 002

大久伝八幡宮へ (池大雅木額−秋葉殿がある)
sap2013

大久伝八幡宮 sap2009(8社)左から:
(津島社・護国社・山神社・御鍬社・州原社・秋葉社・神明社・稲荷社)

十三塚の碑52p2089(大久伝八幡宮)

池大雅作扁額52p2092(大久伝八幡宮)

大久伝八幡社の掲示案内 025

一之御前社 028

一之御前社

一之御前社(安産水の井戸)

一之御前安産水(解説)029

円福寺へ036

円福寺本堂041

長池042

祐福寺総門跡、土塀は東郷町指定有形文化財045

祐福寺総門047

祐福寺総門から本堂を見る101

勅使門の前で全員集合103

祐福寺の勅使門(本堂側)056

祐福寺本堂(昼食)053

境川緑地を行く058

境川緑地を行く059

境川緑地を行く060

見性寺へ062

一之御前社のクスノキの巨木 031

見性寺・庚申観音の由来 065

見性寺・庚申観音堂 064

広大な草野池068

草野池(左)を見ながら西進069

境川を南下する 071

永福寺へ 073

永福寺本堂 072

池大雅作「秋葉殿」113

永福寺の道祖神114(鎌倉街道沿いにあった)

酒井神社(鎌倉街道がこの北側を通っている) 075

境川上流を展望081

境橋の由来w080

境橋中央から境川上流を展望する082

全員集合:祐福寺・勅使門前10.4 Top

「永福寺」永福寺(えいふくじ)

「永福寺」永福寺(えいふくじ) Top
◎住 所: 刈谷市大字西境字御宮91   ◎電 話: 0566-36-9659 
◎宗 派: 曹洞宗    ◎山号別名: 大宝山 
◎本 尊: 釈迦牟尼仏    ◎創建変遷: 文亀二年(1502)室町  
主な見所の説明(友歩会参照) コースマップNo52(PDF)参照) (Top

◎境川(友歩会参照)
  愛知県の中央部を流れ衣浦湾に注ぐ2級河川。かつての尾張国と三河国の境界線上を流れている。
みよし市と豊田市の境界上にある長田池というため池を源とする。みよし市内を縦断し、愛知郡東郷町内に
入った後、東郷町とみよし市の境界線、東郷町と刈谷市の境界線、豊明市と刈谷市の境界線、大府市と
刈谷市の境界線、知多郡東浦町と刈谷市の境界線上を流れ、衣浦湾に注ぐ。
河口より約5km上流から逢妻川および五ヶ村川と並行する形で流れ、河口付近でこれらの川と合流する。
延長24.2km、流域面積264平方キロ。  Top

◎阿野八剱社(〒470-1142 愛知県豊明市阿野町東阿野50 豊明駅出口から徒歩約9分) Top
 豊明市指定文化財参照)
 阿野八剱神社石灯籠:参道の両側にある一対の石灯籠で、阿野の外山家の出身である幕末の勤皇家・
深見篤慶が万延元年(1860)8月に寄進しました。高さ約198cmの岡崎産花こう岩でできており、火袋と
受台に深見家の家紋である三つの巴・丸に木瓜が刻まれています。
「参考」【阿野一里塚】
一里塚は、道しるべの一つで、街道の両側に一里(約4km)ごとに設けられ、その大きさはおよそ五間
(約9m)四方といわれている。塚の上にはエノキが植えられ、距離の目安として親しまれていた。
東海道の一里塚は、慶長9年(1604年)に徳川家康の命により築かれたもので、明治以降の道路拡張や
交通機関の発達でその多くが姿を消してしまった。
「阿野一里塚」は、珍しく両塚が残っていて東海道の中でも貴重な存在で、国史跡となっている。Top

「大久伝八幡宮」 (拡大・由緒 「参考」「 大久伝八幡社の扁額」  Top 南画の池大雅(1723〜76)が、大久伝の兼子源四郎維一家に逗留中に揮毫した書といわれ、文化5年 (1808)に欅の板に書を刻し、扁額として兼子家より大久伝八幡社に寄進されたものです。 隣の刈谷市 には、「池大雅木額−秋葉殿・大悲閣」の2面があります。「秋葉殿」は、大久伝滞在中に揮毫された ものといわれています。 「参考」「おおくて【大久伝】」 市域東端に位置する集落。近世には沓掛村の出郷であった。大久伝は、湿地を暗示する「クテ」と音韻 され、一帯は低湿地が広がっていたと推測される。二村山から宿を経て大久伝に通ずる鎌倉街道は、 境川を渡って三河国に続いたが、近世には往来が減り、道路の役割が低下した。 Top
「一之御前安産水」 室町時代末期の沓掛城主近藤伊景の娘が後奈良天皇の宮女として仕えていましたが、身ごもって郷里の 明知(現・みよし市)へ帰る途中、この清水で喉をいやして安産することができたという言い伝 えを由来としています。以来、妊産婦が安産を願って、遠近からこの清水をもらいに来るようになった といわれます。 Top
「円福寺の秋葉大権現像」 秋葉大権現像は、鎮火・守護の神として知られています。高さは約50cm、アララギ(イチイ)材の一木 造りの着彩、名古屋の彫刻家吉村為隆の作で、天明8年(1788)に八事般若台の雲臥和尚によって開眼 されました。大久伝の兼子源四郎維一が家に安置していたのを、霊夢により上高根の智福院に寄進しま した。その後、明治の初めに廃寺となったため円福寺に移されました。 Top
「祐福寺」(wikipedia)   Top 愛知県愛知郡東郷町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は玉松山。院号は般若院。 本尊は阿弥陀三尊像。 鎌倉時代の建久2年(1191)、源頼朝の家臣・宇都宮頼綱入道蓮生が草庵念仏の道場として開設。 その後、嘉慶2年(1388)、末寺25寺を持つ大道場として栄えました。 「祐福寺勅使門(県指定文化財) 室町時代の大永8年(1528)、後奈良天皇の勅使左中将経広卿を迎えるために築造されました。 柿葺一間一戸の中門をなし、朱塗りの扉に十六菊花の紋章が刻まれています。 「参道石垣由緒記の石」 勅使門の石段に向かって左の一隅にあります。昭和53年に採集した拓本によつて明らかになったもの で、勅使門両脇の筋塀と参道白土塀築造の由緒が記されています。 「祐福寺土塀(町指定文化財)」 天俣14年(1843)、仁空上人が総門から勅使門に至る間が荒れているのを見て築いたもの。Top
「境川緑地」 Top 「参考:豊明市の現況と課題第1章(pdf)第2章都市作りの目標  第3章都市作りの方針(境川緑地に対する方針あり)第4章地区別計画
「見性寺(けんしょうじ)」 Top 住 所: 刈谷市井ケ谷町下ノ郷15 電 話: 0566-36-8268 宗 派: 曹洞宗 山号別名: 井谷山 本 尊: 十一面観世音菩薩 創建変遷: 永享十年(1438)室町        Top
刈谷市水源浄水場刈谷市水道事業の概要pdf参照)「刈谷市・飲み水ができるまで」(参照) (伏流水や深井戸で集めた原水からきれいな水を作る施設です。) 刈谷市の水道事業は、昭和32年7月に国の許可を得て事業に着手し、市内の人口密集地区を給水区域 として、昭和35年4月に給水を開始しました。Top 【市がつくる水】 伏流水: 境川の河原の下約5メートルの位置に穴の開いた管を埋め、原水を集めています。 深井戸: 深さ約100〜300mの井戸が10本あり、原水を汲み上げています。 水源浄水場:伏流水や深井戸で集めた原水からきれいな水を作る施設です。 酸化槽: 原水に混じっている鉄分等を薬品を使い大きな塊にしたり、消毒をします。 薬品注入室:消毒用の次亜塩素酸ソーダ、不純物を固めるポリ塩化アルミニウム、中性に調整する ための苛性ソーダをポンプで酸化槽や配水池に送っています。 急速ろ過池: 砂や砂利の層を通すことにより不純物をろ過し、原水をきれいな浄水にします。 配水池: きれいになった浄水をためておきます。 配水ポンプ室: 配水池の水を各家庭や工場などに送り出します。 【県がつくる水】 牧尾ダム、味噌川ダム、阿木川ダム  木曽川にある愛知用水の水源です。水は愛知県や岐阜県内の市町村に届けられます。 兼山取水口: 木曽川の原水を取り入れます。 上野浄水場、尾張東部浄水場  水源浄水場と同じような仕組みで原水をきれいな浄水にします。 横根配水場、南部配水場、一ツ木配水場  きれいにされた水を配水池に一度ためて必要に応じてポンプ等で各家庭や工場に送り出します。

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