私のマルクス主義(政治経済評論)他総目次
2024.4.24改定
第10回日本共産党尾西後援会「れんげの会」の総会挨拶
  (このホ−ムページ作成の趣旨)
公務員の非正規割合地図(ツイッターから引用2023.7.22)
2人以上の勤労者世帯のエンゲル係数と食料物価指数(8.2)
渡辺市議と一緒に行く『梅見の会』バスツアー挨拶(2024.3.16)
(早わかり世界史・追加・2023.12.17)
早わかり世界史(1815〜1848)ウイーン体制(sp129)(追加・以下2023.12.17)
早わかり世界史(1830〜1848)フランス:7月革命・2月革命(sp130)
早わかり世界史(1832〜1884)労働者たちの運動と社会主義思想の登場(sp131)
早わかり世界史(1837〜1901)ヴィクトリア時代:金融大国イギリス世紀末の繁栄(sp132)
早わかり世界史(19世紀後半)ロシアの南下理由(sp133)
早わかり世界史(19世紀後半)イタリア・ドイツの統一(sp134)
マルクス・エンゲルス略年譜(2024.4.24追加)    TOP
2023年年末近況挨拶とHP紹介(2023.12.07)
2024年寒中見舞いと救援新聞1月5日号救援クイズ応募と読後感想など(ハガキ)
友歩会例会(第100回記念)とYouTubeの「戦争を生みだす資本主義」の一世紀2024/03/05)
「戦争を生みだす資本主義」の実態:Youtube録画集(2024.3.18掲載)
「私と戦争」(きけわだつみの声の感想)と原稿(2024.3.24)。又はアメーバブログ
4.27(土)カーマ前宣伝とシュプレヒコール(2024.4.27)

以下、日本共産党へLINK集
日本共産党Wikipedia 日本共産党規約 日本共産党綱領全文
日本共産党創立101年志位和夫記念講演
日本共産党第29回大会決議案その朗読
若者タウンミーティングwith志位和夫(2023.11.18)(12.10p6〜p7)
一分で語る戦後最悪の安倍政権/志位委員長 2022.9.27
「人間の自由」と社会主義・共産主義 『資本論』を導きに−(志位和夫
 (2024.4.27学生オンラインゼミ第3弾)
マルクス主義入門(HP)紹介 マルクス主義古典案内(解説)
フォイエルバッハに関するテーゼ
「実践哲学の復権」広松渉 思想の言葉(「思想」1981.6所収)
『経済学批判』序言/唯物史観の定式  マルクスの自己紹介
第39回各級講師資格試験問題中級・科学的社会主義(問題と私の解答2015年の出題)
ケネー経済表のマルクスによる解説『反デューリング論』)
マルクスの経済表(マルクスからエンゲルスへ1863.7.6)
「第25回人権を映画で観る」上映会(鑑賞と感想)2024.1.28

Link集
9条を抵抗の拠点に尾西児童図書館の存続を求める活動資料(れんげニュース)
杉原千畝広場 資本論 私のmarkism(政治経済評論) 古典学習会(空想から科学へ)
古典学習会(二)(賃金・価格および利潤)SDGs203017マルクスの経済表とその解説
ドイツイデオロギー




   
時間帯によって画像が変わります。

(第1部)「れんげの会」代表世話人挨拶       2023/07/16
  (このホ−ムページ作成の趣旨)

本日は、第10回日本共産党尾西後援会「れんげの会」の総会に多数ご参加いただきありがとうございます。
日本共産党は、昨日7月15日に、党創立101年の記念の日を迎えました。 そして6月24日には、第8回中央委員会総会
を開催しました。そこで志位委員長は次のように幹部会報告を行っています。

「この総会の任務は第一に、統一地方選挙の結果と教訓を明らかにすること、第二に、総選挙躍進にむけた政治方針
と活動方針を明らかにすること、第三に、先の7中総が提起した、来年1月の第29回党大会までに、「130%の党」を
つくるという大事業をいかにしてやり抜くかについて、活動方向を明確にすることであります。」 と述べています。

第一の統一地方選挙については、「政治対決の弁証法」の立場で闘いの到達点をつかむことであると強調しています。
昨年7月の参議院選挙では、安倍晋三元首相が統一教会との関連で銃撃を受けて亡くなるという事件がありました。
この統一教会は、国際勝共連合という政治組織と繋がっており、安倍晋三元首相の祖父にあたる岸信介・この人は戦後
の日本を、アメリカの軍事支配下に置くという安保条約の推進者ですが、この岸信介こそ、日本に勝共連合という反共
の政治組織を形成した張本人なのです。

先の統一地方選挙の期間中でも、われわれが経験したように、共産党の選挙妨害として、この地域に勝共連合の反共ビラ
が撒かれました。私たちはこうした妨害にも屈することなく、すぐさま反撃ビラを撒いて対応しました。
 私たちは、こうした「政治対決の弁証法」によって、市議会議員選挙において、念願の2議席を確保することができま
した。ここに渡邊さんをお迎えして市政報告会を開催することができた次第であります。
渡邊さんには、心から御礼申し上げる次第です。

しかし、8中総の報告では、全国的には議席の後退を招いております。その結果という訳ではありませんが、6月21日に
閉会した国会は、「戦後最悪の悪法」が数の力で押し切られるという、かつて経験したことのない異常な国会となりました。
具体的にいえば、5年間で43兆円もの大軍拡の財源を捻出するという「軍拡財源確保法案」、国民の血税で軍事企業を
育成支援するという「軍需産業支援法案」、原発事故の反省もなく、原発回帰をおしすすめる「原発推進5法案」、さらに、
国民にとって最悪なのは、健康保険証を廃止してマイナンバーカードを強要する「マイナンバー改悪法案」です。
また、難民・外国人の命を危険にさらす「入管法改悪法案」です。これら、国のあり方の根幹に関わる悪法が、先の国会で
次々と強行されました。それらは、自民党・公明党・日本維新の会・国民民主党という「悪政4党連合」の大政翼賛的勢力
にも助けられての強行成立でした。

日本共産党は、先の8中総の報告で、「こんなアメリカ言いなりの国でいいのか」「こんな財界のもうけ最優先の国でいい
のか」「こんな人権後進国でいいのか」と問いかけ、「第29回党大会大成功、総選挙躍進をめざす党勢拡大・世代的継承
の大運動」を呼びかけています。

われわれは、党創立101年目の、中央委員会による、この呼びかけに応える事で、今日の総会の「歴史的な意義」を、確認
する次第であります。

この総会を機に、われわれは、この中央の「呼び掛け」に応えて、総決起しようではありませんか。
以上で、私の挨拶といたします。よろしくお願いします。
                2023/07/16   TOP
公務員の非正規割合地図(ツイッターから引用2023.7.22) TOP
桃太郎+@momotro018 ・7月22日
この図はわかり易すぎる。30年間でこのザマ‥自民党が日本をぶっ壊し続けてきた結果がこれ。
この地獄をさらに進めようとしているのが自民党と維新。
どちらも竹中平蔵が絡んでいる日本破壊カルト政党だ。
TOP
2人以上の勤労者世帯のエンゲル係数と食料物価指数(ツイッターから引用2023.8.02) TOP
金子勝@masaru_kaneko
【アベノミクスでエンゲル係数は暴騰した】議事録公表を契機に、元日銀審議委員までが
「こんなことなら始めなければよかった」と言い出す始末。世界的インフレに完全無防備のまま、
アベノミクス円安が10年間にわたるエンゲル係数の急騰をもたらし、貧困化を進めた。TOP


「週間エコノミストOnLine」(2023年7月31日)の解説 TOP
 =円安の進行でエンゲル係数が上昇 市岡繁男=
 厚生労働省が発表した5月の毎月勤労統計によると、物価変動を加味した実質賃金は14カ月連続のマイナス
だった。所定内給与の伸び率は前年比1.8%増だったものの、それ以上に物価が上がっている。
 また総務省が発表した5月の家計調査報告では、実質可処分所得(2人以上の勤労者世帯)は前年比7.5%減
だった。可処分所得とは所得から税金や社会保険料を差し引いたもの。
物価上昇による所得減に加え、税・社会保険料はインフレになれば自動的に増えるので、家計が使えるお金は
この1年で急縮小している。
 預貯金も目減りを免れない。物価上昇率が4%なら100万円の預貯金は1年後、実質96万円となる。
家計が保有する預貯金は1100兆円なので、年間44兆円も蒸発する計算だ。
TOP
渡辺市議と一緒に行く『梅見の会』バスツアー(3.16行程)  TOP                 2024/03/16
挨拶と写真集(梅林公園&関ヶ原古戦場記念館(2024.3.16)&JRウオーキングHP(2009.4.4))は
こちらをご覧ください。
TOP
「私と戦争」(DVD「きけわだつみの声」鑑賞の感想と共に)   TOP
宮崎さんから「私と戦争」というテーマで原稿の依頼を受けたのは、尾西9条の会の例会(3.10)で、DVD鑑賞「きけわだ
つみの声」を見た後でした。その時、私は、戦争体験などない戦後生まれ(S21年)なので、お断りしようかと思ったのです
が、考え直して引き受ける事にしました。DVDの「きけわだつみの声」が「日本戦没学生の手記」などを基にして映画化され
たものであり、私の戦争体験といえば、同じ”学生時代”の「ベトナム反戦」であったからです。
新版「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)には、74人の戦没者の手記が掲載されている。
岩波文庫旧版あとがきで、中村克郎氏は小田切秀雄さんの解説を引用して次のように述べている。「日本軍隊とその侵略戦争
という『死の家』に投げ込まれて、やりばのない苦悩で傷ついている若い魂とその破壊された生活とがなまなましく裸身を
さらしている」・・・個人であれ、国家であれ、暴力、武器によって古来平和が保たれたためしがあるか。癌と軍隊は似ていて、
癌は人間の個体を滅ぼし、軍隊は人類を滅ぼす。これは真理である。
不信は不信をよびおこし、暴力は暴力を生み、怨みは怨みを買い、核兵器を含めて一切の軍備は相手を制圧しようとしてお互
いにとどまるところを知らない。」(p493)と。
私は、特に日本の「戦争」を考えるとき、1945年を境にして「戦前・戦後」を区分する事が重要だと考えています。
日本は、明治維新(1868)から第二次世界大戦終結(1945)までの77年間と戦後の77年間を比較してみれば分かるように、
「戦前」
では「大日本帝国憲法」の下に、文字通り戦争に次ぐ戦争が行われており、「戦後」では「日本国憲法」の下に、一度も戦争
に出かけたことがないという鮮明な好対照を示しているからです。
いま、簡単な年表をみると、明治維新(1868)、西南戦争(1877)、大日本帝国憲法(1889)日清戦争(1894〜95)、日露
戦争(1904〜5)、韓国併合(1910)、第一次世界大戦(1914〜18)、ロシア革命(1917)、パリ講和会議(1919)、国際連盟
(1920)、関東大震災(23)政党内閣成立(普通選挙法と治安維持法制定1925(28,41年に改悪))、29年世界恐慌、31年9.18
満州事変、32年満州国建国、5.15事件、33年国際連盟脱退、36年2.26事件、37年日華事変、38年国家総動員法、39年8.23独ソ
不可侵条約、9.1(〜45)第二次世界大戦、40年日独伊3国同盟、10.12大政翼賛会、41年4.13日ソ中立条約、12.8太平洋戦争
(〜45)、42年6.5ミッドウエー海戦、43年10.21神宮外苑競技場で出陣学徒壮行大会(10.2「在学徴集延期臨時特例」(徴収
猶予停止)公布)、45年2.4ヤルタ会談、4.25国際連合憲章成立、7.26ポツダム宣言、8.6広島原爆投下、8.9長崎原爆投下、
8.14ポツダム宣言受諾、8.15無条件降伏、9.2降伏文書調印。
(ここまでを戦前とし、これ以降を戦後として区分します。)
46年5.3極東国際軍事裁判、11.3日本国憲法公布、47年5.3新憲法施行、49年10.1中華人民共和国成立、50年6.25朝鮮戦争、
7.8警察予備隊創設、51年9.8サンフランシスコ対日講和条約・日米安全保障条約調印・・・。
 他方、国民主権と反戦平和の旗を掲げて闘った日本共産党(創立1922年)の岩田義道や小林多喜二は、治安維持法によって
弾圧され特別高等警察(特高)により虐殺された。(岩田32年、小林33年)。京都大学では滝川事件(33年)、35年には
美濃部達吉の天皇機関説が政治問題化した。さらに39年には国民徴用令を公布し、文部省は大学の軍事教練を必修化した。
映画に出てくる与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」という反戦詩の授業中に、校庭では竹槍訓練が行われるという
シーンには、強烈な違和感を覚えた次第です。
 時代は降って、・・・主に安倍政権以降の政治状況を振り返ってみます。
第一次安倍政権(2006〜07)以降の政権与党の動きをみると、日米安保条約を日本国憲法の上に置く無責任で国家主義的な
軍事優先の政治状況の相似形に驚かされます。こちらも年表形式で追ってみます。
 第一次安倍政権下では、2006年教育基本法改正、防衛庁・省昇格法、2007年国民投票法教育改革関連3法、国家公務員法
改正など。第二次安倍政権(2012.12.26〜2020.9.16)では、「政治(官邸)主導」が強化され、「戦争と格差・貧困を生
みだす資本主義」を顕在化させたと言っても過言ではない。
アベノミクスによる貧困と格差拡大、消費税増税による大衆収奪強化、非正規雇用拡大による格差拡大と社会保障費削減、
それらに伴う少子高齢化の進展、気候危機、原発事故とその再稼働による地球汚染、などが顕在化する一方、日本を戦争
する国へと誤らせる改憲策動と国民の暮らしを破壊する軍事費増大、そして最近の自民党パーティー券を巡る裏金問題など
は、自民党政治ではもはや外交・統治能力が無くなっている現実を直視しなければなりません。
 ここでは、主に戦争に関わる自民党政権の動きを見ていきます。
2013年秘密保護法、2015年集団的自衛権行使容認の戦争法、2016年盗聴法拡大、2017年共謀罪法成立、これは戦争法と一体
となって市民監視を行うもので、現代版治安維持法とも言われています。さらに、土地利用規制法は、軍事的安全保障の
観点から国民の私権を制限しようとするもので違憲立法とされています(2021年成立)。
安倍政権以降の自民党政権は、日本国憲法特に戦争放棄を明記した九条を変えて戦争できる国家にし、併せて緊急事態
条項を導入して人権制約を強化しようとしています。
自民党の「日本国憲法改正草案」は、政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返さないと決意し、人権尊重と民主主義
の理念を唱い、これを「人類普遍の原理」と明記した日本国憲法を根底から否定し、戦前の体制に歴史を逆流させ日本を
再び戦争する国に変えようとしていることは明白です。安倍政権以降の管(2020.9〜21.10)、岸田政権(2021.10〜)の
政策は安倍政権の継承であることも明らかです。ちなみに管政権は日本学術会議への政治介入を行い、自民党政府は学術
会議の委員6人の任命拒否を断行しています。岸田政権は、安保3文書の閣議決定(2022.12.16)で、5年間で43兆円
もの敵基地攻撃能力を持つ大軍拡を推進しています。
また、沖縄県の総意に反した辺野古の米軍基地建設の続行や南西諸島の軍事基地化が既に強行されています。
私たちは、戦前の侵略戦争の反省の上に立って出来た日本国憲法を守り生かす事で、戦争に突き進む自民党政治を一刻も
早く終わらせなければならないと深く自覚する次第です。
 また、ロシアによるウクライナ侵攻は既に2年経過しており、昨年10月に始まったイスラエルのガザ攻撃は今でも続いて
います。それは、パレスチナ人の大虐殺(ジェノサイド)ともいえる惨劇を呈しています。
 我々は、世界の人々と一緒に、”国連憲章を守れ”の一点で、こうした戦争の惨禍を止めなければならないと思います。
決して我々の21世紀に、”学徒出陣”など世界に再現させてはなりません。
21世紀にはマルクスが資本論で言うように、資本主義的生産関係に代わる「より高度な経済的社会的構成」を創出しなけ
ればならないと思います。マルクスは資本論で次のように述べています。「およそ権利をつくりだしたものは(資本主義的)
生産関係である。この生産関係が或る一点に達して脱皮せざるをえなくなれば、権利とそれに基づくいっさいの取引との
物質的な源泉、その経済的歴史的に正当化された源泉、その社会的な生命生産の過程から発する源泉は、なくなってしまう。
より高度な経済的社会的構成の立場から見れば、地球に対する個々人の私有は、ちょうど他の人間に対するある人間の私有
のようにばかげたものとして現れるであろう。1つの社会全体でも、1つの国でも、じつにすべての同時代の社会を一緒に
したものでさえも、土地の所有者ではないのである。それらはただ土地の占有者であり、土地の用益者であるだけであって、
それらは、よき家父として、土地を改良して次の世代に伝えなければならないのである。」と。
(資本論第3巻第6篇第46章国民文庫JP267)
 また、わが日本国憲法前文では、「われらはいづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないので
あって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうと
する各国の責務であると信ずる。」と述べています。ましてや他国を無視し侵略戦争を行うことなどは、この政治道徳の法則
を踏み破るものであり、戦前の日本と同様に、破滅(自滅)への道に繋がる蛮行であると考える次第です。
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4.27カーマ前宣伝とシュプレヒコール (2024.4.27(土).Am10:00〜10:30)TOP
4.27カーマ前宣伝(案) (参考:しんぶん赤旗4.20号)
4月10日に日米首脳会談が行われました。そこにおける最大の焦点は、米軍と自衛隊の指揮統制の連携強化をおしすす
め、日米軍事同盟の歴史的な大変質をもたらそうとしている事です。共同声明では「作戦及び能力のシームレスな統合
を可能にし、平時及び有事における自衛隊と米軍との間の相互運用及び計画策定の強化を可能にするため、2国間で
それぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる」としています。 「シームレスな統合」とは何か。
それは「日米が共同対処などを行う場合に陸海空及び宇宙、サイバー、電磁波など様々な領域での作戦や能力をシーム
レスに連携させていくこと」だと防衛大臣は述べています。「共同対処する」ということは、日米の軍事部隊が文字
通り一体化するということです。米インド太平洋軍のアキリーノ司令官は、3月20日の米下院公聴会で、対中国で、
米国の優位性は同盟国の存在である、と公言しています。自衛隊は、事実上、米軍の指揮下で、あたかも米軍の一部隊
のように扱われるということではありませんか。
トマホークをはじめ敵基地攻撃能力の運用は、日米共同作戦が前提です。
標的の探知・追尾、攻撃効果の判定などは自衛隊単独では困難であり、米軍との共同が不可欠だからです。
 さらに、共同声明は、抑止力の強化を繰り返し強調しており、日米で兵器の共同開発・生産を進めるために、「日米
防衛産業協力・取得・維持整備の定期協議」の開催を宣言しています。
また、日米同盟の抑止力を理由に、沖縄・辺野古の新基地建設を「唯一の解決策」として強行することを明記してい
ます。岸田首相は、バイデン大統領に沖縄県民多数の意見が辺野古新基地建設に反対である事を伝えたのですか。
また、沖縄普天間基地の米軍オスプレイは、傍若無人の飛行を続けていますが、運用停止と撤去をこそ求めるべきでは
ないですか。  しかし、岸田首相の首脳会談や米議会での演説からは、日米軍事同盟のもとで、現にある国民の苦難
に寄り添い、負担を軽減させようとする姿勢は全く見られません。それどころか軍事的対抗を強め、いっそうの危険と
負担をもたらす同盟関係の歴史的大変質に突き進んでいます。いま必要な事は地域の全ての国々を包摂する対話と協力
の枠組みをつくり、発展させる事、外交による平和の創出ではないでしょうか。
「戦争の準備ではなく、平和の準備」こそ、今求められている事ではないでしょうか。

ここで、シュプレヒコールを行いますので、よろしくお願いします。

「シュプレヒコール」

@憲法9条 改悪反対      A戦争法を 廃止しよう
B軍拡増税 絶対反対     C平和憲法を 守り活かそう
D辺野古の新基地 建設反対  E原発なくせ 再稼働反対
Fロシアのウクライナ侵略 反対
Gイスラエルはガザ攻撃を 今すぐやめろ
H金権腐敗の自民党政治を 終わらせよう
I市民と野党で 政治を変えよう
Jみんなの力で 政治を変えよう
K野党統一候補を 勝利させよう
以上で終わります。ありがとうございました。
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マルクス・エンゲルス略年譜    TOP
2023.07.07からマルクス・エンゲルスの古典学習会を開催することになった。
ここではまずはじめに、マルクス・エンゲルスの生きた時代背景を略年譜形式で押さえておきたい。
以下の略年譜は雑誌「経済」2013.5月号掲載による。
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「マルクス・エンゲルス略年賦」(雑誌「経済」2013.5月号、p6から引用)
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1818 マルクス生まれる
1820 エンゲルス生まれる
−−−−−−−−−−−−−−−
※1770〜1831 ヘーゲル(精神現象学1807、論理学1812、エンチクロペディ1817、法の哲学1821)
※1789 フランス革命(当時ヘーゲル19才)
※1830 フランス:7月革命(立憲君主制)
−−−−−−−−−−−−−−−
1842 マルクス、「ライン新聞」へ寄稿、やがて主筆に
1843 「ライン新聞」編集部を退く。パリへ
1844 マルクス「独仏年誌」創刊。エンゲルス:「国民経済学批判大綱」
   マルクス:「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」
   マルクス・エンゲルス、「聖家族」共同執筆
1845 マルクス、パリを追放されブリュッセルへ
   エンゲルス、「イギリスにおける労働者階級の状態」刊行
1846 マルクス・エンゲルス、「ドイツ・イデオロギー」共同執筆
   マルクス・エンゲルス、共産主義通信委員会を組織
1847 マルクス、「哲学の貧困」出版。マルクス・エンゲルス、共産主義者同盟に加盟。
1848 マルクス・エンゲルス「共産党宣言」発表
   ドイツで「新ライン新聞」創刊。(仏:2月革命、独:3月革命)
1849 マルクス「新ライン新聞」に「賃労働と資本」を連載。
   8月マルクス、ロンドンに亡命、経済学の研究開始。
1850 エンゲルス、マンチェスターで商会の仕事に就き、マルクスを支える。
1851 ルイ・ボナパルト、クーデターで皇帝に
1852 マルクス、「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」発表
1857〜58 マルクス、経済学の草稿執筆「57〜58年草稿」
1859 マルクス、「経済学批判」(第一分冊)刊行
1861〜63 マルクス、経済学批判続編の草稿「61〜63年草稿」
1863.7.6 マルクスの「経済表」を手紙でエンゲルスに送る。
1863〜65 マルクス、「63〜65年草稿」(資本論全3部の草稿)執筆
1862 マルクス、第一インターナショナルの「創立宣言」「暫定規約」起草
1865 マルクス、第一インターナショナル総評議会で「賃金・価格および利潤」を講演
1865〜67 マルクス、「資本論」第一部完成稿執筆
1867 マルクス、「資本論」第一部刊行
1867〜70 「資本論」第二部、第2〜第4草稿執筆
1871 パリ・コミューン マルクス、「フランスにおける内乱」執筆
1872 「資本論」フランス語版刊行開始(〜75年) 第一インターハーグ大会。本部をアメリカへ
1873 「資本論」第一部第2版刊行
1875 マルクス、「ゴータ綱領批判」(独、ゴータで合同大会)
1876 エンゲルス、「反デューリング論」執筆開始
1877〜81 「資本論」第二部草稿執筆(第5〜第8草稿)
1880 エンゲルス、「空想から科学へ」刊行
1883 マルクス、死去 「資本論」第一部第3版刊行
1885 「資本論」第二部刊行
1886 エンゲルス、「フォイエルバッハ論」刊行
1891 エンゲルス、「エルフルト綱領批判」発表
1894 「資本論」第三部刊行
1895 エンゲルス、「マルクス『フランスにおける階級闘争』の序文」を執筆
1895 エンゲルス、死去  TOP
2023年・年末近況挨拶とHP紹介(2023.12.07)       TOP
                                          2023/12/07
前略
各位、如何お過ごしでしょうか。
早くも12月、一年過ぎるのがあっという間ですね。
早速ですが、最近(12.2)友歩会の例会で、一宮市西部木曽川を中心にウオーキングにでかけました。
下記ホームページに詳細を記載したのでまた一度ご覧いただければ幸いです。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/99reikai.htm

友歩会の例会は、今回で99回目で、来年2月3日(東海市)には100回になります。
私の初参加は、H18年(2006)9月9日の例会(第4回)からですが、既に17年経過しました。
下記に友歩会の例会indexがあるのでご覧ください。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/yuhokai.htm

今回(No.99)の友歩会例会は、萩原駅を出発点として終点は起バス停です。
私は下見にはでたものの、例会時は体調不良で途中からそして途中で引き返してしまいました。
HPの主な写真は古いものですが、現状は伝えていると思います。
また、多くの写真などでうんざりされるかと恐れますが、コースマップなどで確認していただければ幸いです。
特に明治時代の地形図や吉藤城址などの史跡は貴重なもので、添付資料などを確認していただければ幸いです。
私にとっては、「多良街道」や「新濃尾大橋」の建設が中野の渡しの舟の中から確認できたことが新鮮でした。
(HP内の起宿高札場は、壊れて現在再建中です。2023年の年末には再建されました。)
また、昨年のロシアによるウクライナ侵攻以降、最近のガザ地区の戦闘状態が連日報道されていますが、現代
資本主義的生産の行き詰まりに伴い、地球規模でのエコロジー破壊が目を覆います。
人類社会はこれを乗りこえなければ悲惨な自滅に陥ることは明らかではないでしょうか。
それらに伴い、下記にマルクス主義的なMyHPを作成したのでこちらもご覧いただければ幸いです。
@尾西児童図書館存続を求める緊急ホームページのご案内
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/rengenews.htm
これは、2021.3.31に市川房枝さんに結びつく尾西児童図書館が人件費抑制のために閉鎖されたことへの抗議の
記録です。市川房枝生家跡は、2023.3月に「記念広場」として整備されていますが、児童図書館は閉鎖された
ままです。(HP参照)
A「憲法9条を抵抗の拠点に」
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/9jyoubisai.htm
日本国憲法前文と9条は、今こそ世界に向けて(特にロシアとイスラエルに)発信すべき国際規範ではないで
しょうか。どうする家康ではありませんが、戦乱の世を泰平に導く為の世界規範として通用させなければなら
ないと思う次第です。
B杉原千畝広場(瑞陵高校前) 
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/sugiharatiune.htm
これは、第二次世界大戦時にリトアニア領事館において杉原千畝さんがユダヤ人難民へのピザ発給を記念した
杉原千畝広場(瑞陵高校前)の写真集です。
現在、ガザでのイスラエルによるジェノサイドのパレスチナ大量難民(虐殺)発生が国際人道法違反として報道
されています。見るも耐えられない悲惨な現状です。
マルクスは、資本論第3巻第46章で次のように述べています。
「およそ権利をつくり出したものは生産関係である。この生産関係が或る一点に達して脱皮せざるを得なくなれ
ば、権利とそれに基づく一切の取引との物質的な源泉、その経済的歴史的に正当化された源泉、その社会的な
生命生産の過程から発する源泉は、なくなってしまう。より高度な経済的社会構成の立場から見れば、地球に対
する個々人の私有は、丁度他の人間に対する或る人間の私有のように馬鹿げたものとして現れるであろう。
1つの社会全体でも、1つの国でも、実に全ての同時代の社会を一緒にしたものでさえも、土地の所有者ではない
のである。それらはただ土地の占有者であり土地の用益者であるだけであって、それらは、よき家父として、
土地を改良して次の世代に伝えなければならないのである。」と。
われわれは一刻も早く、地獄の資本主義社会を脱して「より高度な経済的社会構成」を築かなければならない
思う次第です。(資本論第3巻第9篇第46章「建築地代、鉱山地代、土地価格」国民文庫Jp267)
C資本論
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/sihonron.htm
このHPから上記Bの資本論第3巻第9篇第46章のマルクスの発言がみられます。
第1巻と2巻は後日掲載予定ですが、体力が心配です。
D古典学習会(『空想から科学へ』)
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/kotengakusyu.htm
現在、支部活動の一環として取組中ですが、岩波文庫版を要約しました。
これは、科学的社会主義の学習としては、基本的な文献ですね。
E古典学習会(二)(『賃金・価格および利潤』&「資本論に関する手紙」)
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/kotengakusyu2.htm
マルクスの資本論理解には欠かせない文献です。追加してマルクスの経済表とその解説、またマルクスによる
ケネー経済表の解説も載せました。これはマルクスが自ら「資本論の総括」と呼んでいるものです。
一読ください。(月刊学習2023年11月号p62にこの記事が載っています。)
F経済表 (マルクスの経済表を独立させました。)
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/keizaihyou.htm
G私のマルクス主義(政治経済評論)
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/mymarxism.htm
ここには、唯物史観の公式やフォイエルバッハテーゼ、広松さんの「実践哲学の復権」、そして日本共産党
第39回各級講師資格試験問題(2015年)の中級・科学的社会主義(問題と私の解答)をコピーして載せま
した。私は、いまでもこの立場を堅持しているつもりです。
H最後に、SDGs(持続可能な開発目標)のページを紹介します。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/sdgs203017.htm

平成27年(2015)9月の国連サミットで採択された、「誰一人取り残さない」持続可能でよりよい社会の
実現をめざす世界共通の(17の)目標です。
以上は、ときどき、忘れないように、HPにして確認できるようにした次第です。
やや長くなりましたが、近況に変えてMyHPの紹介とさせていただきます。
ps 皆様の近況などもよろしくお願いします。
年末の折、皆様のご健康とご多幸を祈念して、来年もよろしくお願いします。
それではまた、次回に  Your K.M   TOP
                                                2024/03/05   TOP
前略
各位、今日は啓蟄とはいえまだ寒暖の差が厳しい中、如何お過ごしでしょうか。
私は、先月(2月)3日(土)、友歩会の例会(第100回記念)に東海市に史跡巡りに出かけてきました。
下記ホームページをご覧いただければ幸いです。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/yuho100.htm

東海市は、特に細井平洲を平洲記念館で顕彰しています。また、市内には平洲と名前を冠した小中学校があります。
細井平洲は、・・・今日、自民党政治が能登半島地震という自然災害にも関わらず、自ら腐敗劣化して裏金疑惑や軍拡大予算を
盛るなど対応を誤るのとは対照的に、江戸中期において、米沢藩(今の山形県米沢市)中興の祖と言われる上杉鷹山の師として、
多くの教えを残しています。
ここでは、上杉鷹山の民主主義と言われている「伝国の辞」(上杉鷹山35才)を紹介します。鷹山が家督を治広に譲ったとき
の言い伝えです。(上記HP参照) (童門冬二「上杉鷹山の経営学」)
「1、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、我、私すべきものには之無く候 
  2、人民は、国家に属したる人民にして、我、私すべきものには之無く候
 3、国家、人民のために樹てたる君にて、君のために樹てたる国家、人民には之無く候 右三条、御遺念あるまじく
   候事
天明五年(1785年)巳年二月七日  治憲    治広殿  机前」と。
まるで、今日の自民党の巨額の組織的な裏金疑惑を見越したかのような教えではないでしょうか。西洋ではこの4年後(1789年)
にフランス大革命が勃発していますね。ブルボン絶対王政が財政難を理由に市民への課税(重税)を課そうとした事による貴族
の反抗で口火が切られたとされています。

以下は、最近視聴したYouTubeの「戦争を生みだす資本主義」の一世紀を映像化したものですが、われわれは一刻も早く
この資本主義的経済社会の地獄を乗りこえない限り、地球社会が共倒れして壊滅する事態に直面していると危機感を抱いている
次第です。 皆様にお知らせする次第です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「戦争を生みだす資本主義」の一世紀@

@第一次世界大戦 完全版(1914〜1918)
https://www.youtube.com/watch?v=AX2oN9Re8eo

A大人の教養TV【ロシア革命】(1917)わかりやすく解説!
https://www.youtube.com/watch?v=JAn2VBimH4s

B【二・二六事件】(1936)とは? 衝撃の事件をわかりやすく徹底解説!軍部の大規模反逆はなぜ起きた?
https://www.youtube.com/watch?v=vupt-cHCmAw

B「デモクラシータイムス」【高瀬毅のずばり!真相】「二・二六事件」と青年将校 〜“反乱軍”の素顔に迫る〜
https://www.youtube.com/watch?v=DZ0KFv5EH64

C「YouTube高校 / 日本史」【昭和時代】249 二・二六事件とは?
https://www.youtube.com/watch?v=vPwun-XqBMM

D「第二次世界大戦」
https://www.youtube.com/watch?v=JnXXYD8lXqY

E冷戦 完全版
https://www.youtube.com/watch?v=5bT-6NECUO4

F世界で最も解決困難な紛争|イスラエル-ガザ紛争
https://www.youtube.com/watch?v=IzPW0wF3J5s

以上、われわれは、地球規模の戦争や歴史的紛争だけではなく、地球温暖化防止や核兵器禁止条約のようなわれわれ市民の
自覚的な世界的・歴史的な”到達点”をも再確認することもまた必要なことではないかと思います。

皆様の近況などまたお寄せいただければ幸いです。
それではまた、次回に   TOP
「戦争を生みだす資本主義」の実態A:Youtube録画集 TOP
1,第一次世界大戦はなぜ始まり、どう終わったのか?【世界史】
https://www.youtube.com/watch?v=fUo9RbrRAsQ
2,【第二次世界大戦】開戦から終結までわかりやすく解説
https://www.youtube.com/watch?v=O4T7sGPp3SM

3,【太平洋戦争】なぜ日本人はアメリカとの無謀な戦争に向かったのか?
https://www.youtube.com/watch?v=XNp6zgE21ag

4,【ゆっくり解説】史上最悪の泥沼の争い|朝鮮戦争の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=fyNTTlF1y2A

5,ベトナム戦争
https://www.youtube.com/watch?v=QKImYAAze-U
6,40年で完全荒廃した地獄の戦場|アフガニスタン戦争
https://www.youtube.com/watch?v=avjlt8FwT9U

7,戦後最悪の悲惨な紛争|ユーゴスラビア内戦
https://www.youtube.com/watch?v=IYZ7ZDGE268

8,ロシアの歴史 完全版
https://www.youtube.com/watch?v=aGT9P41TObY&t=7s

9,ロシア帝国とウクライナの歴史
https://www.youtube.com/watch?v=mo4D2uKN4g8
10、民族信仰だったユダヤ教
https://www.youtube.com/watch?v=F2L_RM1KR8I
11,【宗教史@】ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=0a7nINmr_Wo

12,【ユダヤ教・キリスト教・イスラム教】
https://www.youtube.com/watch?v=iSblx6aF8yU
13,【ゆっくり解説】史上最悪の泥沼の争い|朝鮮戦争の歴史
https://www.youtube.com/watch?v=fyNTTlF1y2A

14,知っておくべきオバマの裏の顔とロシアから見たウクライナ侵攻
https://www.youtube.com/watch?v=jgjD9sIK36s


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「第25回人権を映画で観る」上映会
  鑑賞と感想(2024年1月28日)TOP


1月28日に名古屋の北文化小劇場で下記の映画3本を鑑賞
した。

@テルアビブ・オン・ファイア
 (2018年イギリス・ルクセンブルク合作)
A福田村事件(2023年製作森達也監督)
Bハンナ・アーレント
(2012年ドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作)

@は、現在実際にイスラエルのガザ侵攻が続くもとでは、
脚本家の仕事が現実と2重写しとなって戦争とドグマに
よる人間の生き様を考えさせる契機となる内容だった。
監督がパレスチナ系イスラエル人というのも皮肉である
が、現実では確実にパレスチナがイスラエルに侵略され
て追い出されようとしているのは、シオニズムのドグマ
に基づいているのではないかと考えさせられてしまう。

Aは、関東大震災後の社会的混乱の中で実際に起きた
虐殺事件を取り上げている。こちらも・・・
民主主義とは相反する軍隊の日常生活への介入と、俗耳
に入りやすい流言飛語により一般大衆の集団圧力を強化
(狂化)して虐殺を生みだす怖さが感じられた。
ここにも資本主義社会の暗部が影を落としているように
思われた。特に軍部の市民社会への介入という非民主的
なドグマによって人権が無視される権力構造が民衆の
流言飛語とも合流した時の恐ろしさは戦前日本の暗部を
照らしているように思われた。

Bは、ハンナ・アーレントがナチス戦犯のアドルフ・
アイヒマンの歴史的な裁判の傍聴をもとにした哲学的記事
<悪の凡庸さ>の指摘が巻き起こしたセンセーショナルな
事件を題材にしたものである。
最後の学生を前にした講義(考える事で人間は強くなる)
がアーレントの主張を根拠づけている。
ナチ党員にもなったことがあるハイデッガーの愛弟子でも
あるアーレントの主張は、ユダヤ人という人種的な問題で
はなく、より普遍的な人間の問題として説くことで、ドグ
マティックな俗耳には入りにくいことは確かであるが、
やはり科学的社会主義の学習や教育のあり方が”生みの苦
しみを和らげる”というのは、今回の3本の映画に共通する
通奏低音と思われた。

今日の映画は、世界の人権問題の歴史的現在地を描くとい
う点で、よい刺激になりました。ただ、その歴史的現在地
における資本主義的生産関係の表層ではなく、マルクスの
資本論を想起させる内容(下部構造)の剔抉も、特に戦争
を生みだす資本主義社会の実態も次回には取り上げてほし
いですね。
27日の山本薩夫監督の「戦争と人間」も見たかったですが
都合により割愛した。五味川純平原作の「人間の条件」を
読んでみたくなりました。          2024/01/30 18:37
2024年寒中お見舞い

「より高度な経済的社会構成」:(資本論第3巻第9篇第46章
「建築地代、鉱山地代、土地価格」国民文庫Jp267)→→→
救援新聞(2024.1.5クイズと読後感)TOP

→(上記の年末挨拶B参照)
『フォイエルバッハに関するテーゼ』    TOP

第1テーゼ
フォイエルバッハを含めたこれまでのすべての唯物論の主な欠陥は、対象・現実性・感性がただ客体あるいは直感の
形式のもとでだけとらえられていて、人間の感性的な活動・実践として、主体的にとらえられていないことにある。
従って、活動的な側面は、唯物論とは反対に、観念論によって展開されることになった。
しかしこれはただ抽象的におこなわれたにすぎない。なぜなら、観念論はもちろん本来の意味での現実的な、感性的
な活動を知らないからである。フォイエルバッハは、思想的客体とは現実に区別される、感性的な客体を求めている
のだが、しかし、人間の活動そのものを対象的な活動としてはとらえない。だから彼は、『キリスト教の本質』の中
で、理論的な態度だけを真に人間的態度と見なし、実践はその卑しい、ユダヤ人的な現象形態においてのみとらえら
れ、固定されている。従って彼は、「革命的」な、実践的・批判的な活動の意義を理解しない。
第2テーゼ
対象的真理が人間の思考に達するかどうかという問題は、何ら理論の問題ではなく、実践の問題である。実践におい
て、人間はその思考の真理を、即ち彼の思考の現実性と力とを、その此岸性を証明しなければならない。
実践から切り離された思考が現実的であるか非現実的であるかという争いは、純然たるスコラ的な問題である。
第3テーゼ
人間は環境と教育の所産であり、従って人間の変化は環境の相違と教育の変化との所産であるという唯物論的学説は、
まさに人間が環境を変えるのであり、また教育者自身が教育されなければならない、ということを忘れている。
従ってこの学説は、必然的に社会を二つの部分に分け、そのうちの一つは社会よりも優越しているとするようになる。
 (例えばロバート・オーウェンの場合)
環境の変更と、人間の活動との合致は、ただ変革的実践としてのみ、把握されかつ合理的に理解される。
第4テーゼ
フォイエルバッハは、宗教的自己疎外の事実、すなわち宗教的、空想的世界と現実の世界とへ二重化されているという
事実から出発する。彼の仕事は、宗教的な世界をその現世的な基礎に解消させることにある。
だが、彼はこの仕事が成し遂げられてからも、なお主な事がし残されているということを見落としている。
というのは、現世的な基礎が自分自身から浮き上がって、一つの独立の王国を雲の中に確立するという事実は、まさに
この現世的基礎の自己分裂と自己矛盾とからのみ説明されなければならないからである。従ってこの現世的な基礎が
まず矛盾として理解されなければならないし、次にこの矛盾をとりのぞくことによって実践的に変革されなければなら
ない。だから、例えば、地上の家族が聖家族の秘密であることが発見されたら、今度は地上家族そのものが理論的に批判
されかつ実践的に変革されねばならない。 
第5テーゼ
フォイエルバッハは、抽象的な思考に満足せず、感性的な直感に訴える。しかし、彼は感性を実践的活動、即ち人間の
感性的活動としてとらえない。 
第6テーゼ
フォイエルバッハは、宗教の本質を人間の本質に解消する。しかし、人間的本質は、個々の個人に内在する抽象物で
はない。人間的本質とは、現実には、社会的諸関係の総体である。(※)
フォイエルバッハは、こうした現実的な本質にたちいらないから、
(1).歴史の過程を無視して、宗教的心情をそれだけで固定し、そして抽象的な−孤立した−人間的個体を前提せざるを
えなくなる。
(2).だから彼の場合、人間の本質は、ただ「類」として、即ち、多くの個人を単に自然的に結びつける、内的な、無言
の一般性としてしかとらえられない。
第7テーゼ
従ってフォイエルバッハは、「宗教的心情」そのものが1つの社会的産物であるということ、彼が分析する抽象的個人が
現実には特定の社会形態に属しているということを見ない。
第8テーゼ
すべての社会的生活は、本質的に実践的である。理論を神秘主義に誘い込むあらゆる神秘は、その合理的解決を人間の
実践およびこの実践の把握のうちに見いだす。 
第9テーゼ
直感的な唯物論、すなわち、感性を実践的な活動としてとらえない唯物論が到達する最高の地点は、「市民社会」に
おける個々の個人の直感(Anschauung)である。 
第10テーゼ
古い唯物論の立場は「市民」社会であり、新しい唯物論の立場は、人間的社会あるいは社会化された人類
(vergesellschftete Menschheit)である。 
第11テーゼ
哲学者たちは、世界を様々に解釈した(interpretiert)にすぎない。大切なことはしかしそれを変革すること
(verandern)である。  TOP
(※)ヘーゲル『精神哲学』における関係主義的人間把握の事例。
(広松渉『マルクス主義の地平』:第三章「唯物史観における人間の問題」p127

「個体の具体的な存在には、彼の根本的諸関心(Grundinteresse基本的な−間−存在)の総体、彼が他の人間
ならびに世界一般と共に形成している本質的で且つ特殊的・経験的な諸関係との総体(Gesamtheit)が属して
いる。この総体性(Totalitat)は個体に内在的であり、そして先には個体の守護神と呼ばれた。
その意味で上記の総体性は個体の現実性を形成している。」
(ヘーゲル『エンチュクロペディ』」(「精神哲学」岩波文庫(上)30 p217)(第406節)
 / 広松編『ヘーゲル』p163)   TOP
「実践哲学の復権」広松渉 思想の言葉 思想の言葉「思想」1981.6所収) TOP

 実践を重要視することと、実践に関する論議を自己の哲学的体系の内部で優位に置くこととは、勿論別事である。
第一義を実践活動に置く哲学者たちにあってさえ、実践哲学が優位に遇される例は、寧ろ稀であるように見受けられる。
 哲学は、一見、俗世間から超絶しているかにみえて、その実、歴史的・社会的現実と鋭く切り結んでいる。
古来、大を成した哲学者たちは、大抵が挫折せる政治家であって、彼等にとって哲学とは「別の手段を以ってする政治の
延長」であったとすら言うことができよう。
彼等の中には哲学論文という装いのもとに政論を展開した者も少なくない。講壇の飾人形輩には固よりこのことは妥当し
ないが、真の哲学者たる者は古今を通じて極めて実践的である。
政治家的情熱−それは宗教家的情熱や道徳家的情熱の形を執る場合もある−が若し無ければ、有為な人士が何で哲学など
という”迂遠”な代物に献身できよう。
 顧みれば、十九世紀のある時点以降、所謂講壇哲学の確立に伴い、哲学のアクチュアリティーが失われたかのようにも
見える。しかし、見方によっては、講壇哲学の非実践的姿勢それ自身、相対的に安定せる体制のイデオローギッシュな
一表白なのであって、決して脱実践的であったわけではない。現に、第一次世界大戦以後、体制的危機が露わになるや
−従前、講壇哲学の主流をなした認識論主義的な非実践的哲学は一気に退潮しー実践的姿勢の哲学が簇生(ぞくせい)
したのであった。今にして思えば、しかし、それらはまだ牧歌的ないし哀歌的であって、今昔の感に堪えない。
 昨今では、さすがに、講壇哲学の内部からすらも「実践哲学の復権」が叫ばれる情況に立ち至っている。時潮のしから
しめるところ、当然と言わねばなるまい。
 「実践哲学」と一口に言っても、事実上道徳哲学に局定するものもあり、政治哲学を基柱とするものもあり、多義的で
あるが、実践主体たる人間が歴史的世界に内存在する以上、いわゆる個人主義道徳の如きは、事の原理上、そもそも存立
しえない。−実践は、一見孤高の営為にみえる場合であってすら、本源的・本質的に間主体的な協働であり、実践はその
都度すでに協働連関へのアンガージュマンである。−とすれば、実践哲学は、事柄に迫られて、一種の社会哲学ないし
政治哲学たらざるを得ないであろう。
 実践哲学は、人々の実践やそれが物象化的にもたらす制度的既成態について単に論攷するものではなく、各自が如何
ように実践的に関与すべきかを論定する。そのためにも、実践の存在条件と存立構造を前梯的に究明する。
ここにあっては、伝統的な「主体−手段−客体」という”三項図式”を止揚して、人間の間主体的共同存在相と対象的
活動性の存立機制を「役割行動編制」に定位しつつ捉え返すことが鍵鑰をなすものと筆者は考える。
 現下の実践哲学は、剰え、世界人類史的危機の只中にあって現体制を如何に変革し、如何なる理想的社会を建設するか、
その現実的諸条件を解明しつつ、将来的展望を披くものでなければなるまい。それは、帰するところ、社会変革論であり、
新社会建設論である。
 人はここで、マルクス主義の過去と現在を想うことであろう。近現代の哲学において、実践哲学を基軸に据えた最たる
ものがマルクス主義にほかならない。しかし、マルクス主義は、所謂ロシア・マルクス主義流の客体主義と所謂西欧
マルクス主義流の主体主義との両極分解を呈しつつ、理論的にばかりか、現実的実践においても、”昏迷”状態に陥って
おり、理論的・実践的”復権”が切に冀求される。
 マルクス主義は、実践哲学の部面においても、まだ体系的に完成しておらず、体系的構築の途上にある。
想えば、マルクス主義の”実践哲学”は、社会・経済・政治理論の上に、一方では革命論(戦略・戦術論、組織論、等)
を構築し、他方ではカウツキー以来特色ある道徳論を展開してきたが、政治的実践論と倫理的実践論とを有機的な理論的
統一にもたらす迄には至っていない。遡っては、実践哲学の存在論的定礎に未だしいものがある。
−既成”社会主義”体制の”スターリン主義的”変質は素より単純にこの落丁に由来するものではないが、そこに一因を
求めることもできよう。時に、東欧の一部などには、初期マルクスの人間存在論や人間疎外論に基づいた実践哲学の試図
がみられる。これの登場する所以のものは諒解に難くないとはいえ、理論的には後退と評さざるを得ない。
−マルクス主義は社会革命論・新社会建設論の再構築と人倫論的なその基礎付けを甫め、実践哲学の具体的・体系的な
確立を焦眉の課題としている。このさい、価値哲学と実践哲学との媒介的結合が要訣をなすであろう。
それは価値形態論や物神性論においてマルクスの開示した物象化論の論理を、彼が永続革命論で説いた即自的・対自的な
協働的実践論と統一的に捉え返し、彼が未来社会に托した人倫的理念を宣揚するものとなる筈である。
 翻って、しかし、実践哲学は抑々存在命題から価値命題をば導出できないという原理的アポリアを孕むものではない
のか。成程、人がもし、普遍妥当性をもつ当為的命題を論理必然的に導来しようと志向するのであれば、それは叶わぬ事
であろう。だが、価値命題・当為命題は元来相対的である。普遍必然的な当為など存在せず、当為の承認・拒斥は、
歴史的・社会的・階級的、その他の諸条件によって本源的に規定されている。当為命題は”呼びかけ”たらざるをえず、
共同主観的呼応を得るその限りにおいてのみ間主体的妥当性を獲得するにすぎない。実践哲学は、窮竟的には、所詮
イデオローギッシュな”呼びかけ”でしかありえない。
 実践の哲学は”先駆的な決意性”に支えられる。とはいえ、”実存”はすでにして共同存在である。
人は一匹の動物として孤独に「落命」することはあっても、人間としての「死」とは共同現存在の一事実である。
人間は「死」をすら孤独に身に請けることはできない。先駆的決意は「共同人としての役割」においてのみ行われうる。
寔(まこと)に、実践哲学は共同的投企の”呼びかけ”として存立するのである。 
(「思想」81年6月号)
※「広松渉 哲学小品集」(p194・岩波書店1996) TOP
「科学的社会主義」講座 その(1)    TOP
『経済学批判』序言(1859年)(マルクスの経歴に関する自己紹介@)(ページは「国民文庫」版による)
(唯物史観の定式)
・(p15)私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であ った。
(1844年「独仏年誌」に掲載の「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判 序説」)。
 研究の到達した結果は次のことであった。即ち、
・法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものでは
なく、むしろ物質的な生活諸関係に根ざしているものであって、これらの生活  諸関係の総体を ヘーゲルは、18世紀の
イギリス人及びフランス人の先例にならって、「市民社会」と  いう名のもとに総括しているのであるが、しかしこの
市民社会の解剖学は経済学のうちに求められ なければならない、ということ であった。
・パリで始めた経済学の研究をブリュッセルで続けた。私にとって明らかとなった、・・・私の研究の導きの 糸として
役立った一般的結論は、簡単には次のように定式化することができる。
・「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、即ち、彼らの
物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係 の総体は、社会の経済的構造を形成
する。これが実在的土台であり、その上に1つの法律的及び政  治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的
意識諸形態が対応する。」
・物質的生活の生産様式が、社会的、政治的及び精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するの
ではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。
・(p16)社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、
あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態
からその桎梏に一変する。その時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、
あるいは徐々に(イギリス)、あるいは急激に(フランス)変革される。
・このような諸変革の考察にあたっては、経済的生産諸条件における物質的な、自然科学的に正確に 確認できる変革と、
人間がこの衝突を意識し、それを闘い抜く場面である法律的な、政治的な、宗教 的な、芸術的または哲学的な諸形態、
簡単に言えばイデオロギー的諸形態とを常に区別しなければ ならない。
・ある個人が自分自身を何と考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から
判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾か ら、社会的生産諸力と生産諸関係との
あいだに現存する衝突から説明しなければならない。
・1つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、決して没落するものではなく、新しい、
さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化され終わるまでは、決して古いものに
とって代わることはない。
・それだから、人間は常に、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、詳しく考察してみると、課題その
ものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、または少なくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、
常に見られるであろうからだ。
・大づかみにいって、アジア的、古代的、封建的及び近代ブルジョア的生産様式を経済的社会構成の相次ぐ諸時期として
あげることができる。(※)
(※アジア的生産様式とは、原始共産制のこと。また近代ブルジョア的生産様式とは近代資本主義的生産様式のことです。
マルクスは、この時点ではまだ資本主義という言葉を使っていない。)
・(p17)ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という
意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展し
つつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。従って、この社会構成でもって
人間社会の前史は終わる。(p17)
※ 「エンゲルスの書評」(p253)「カール・マルクス『経済学批判』参照・抜粋
 (マルクスの「経済学研究」の成果として次の『賃金・価格および利潤』が挙げられる。)TOP
(マルクスの経歴に関する自己紹介A)      TOP
・(p17)私は、F・エンゲルスとは、経済学的諸範疇の批判のための彼の天才的な概説が「独仏年誌」に現れて以来、絶え
ず手紙で意見交換し続けてきたが、彼は別の経路を経て私と同じ結果に達していた。
・1845年の春、彼もまたブリュッセルに腰を落ち着けたときに、我々は、ドイツ哲学のイデオロギー的見解に対する我々
の見解を共同して作り上げること、事実上は我々の以前の哲学的意識を清算することを決意した。この企てはヘーゲル
以後の哲学の批判という形で実行された。
・我々は、・・・かなりあとになって事情が変わったので出版できないという知らせを受け取ったが、すでに自分のため
に問題を解明するという主な目的を達していたので、原稿を歯牙にかじる批判に任せた。
・当時、・・・我々の見解を世に問うた仕事のうちからは、私はエンゲルスとの共同執筆になる「共産党宣言」と、私が
公表した「自由貿易論」とだけをあげるにとどめる。我々の見解の決定的な諸論点は、1847年のプルードンに反対した
私の著書「哲学の貧困」の中で論争形式ではあるが、はじめて科学的に示された。「賃労働」についてドイツ語で書かれ
た1論文は、ブリュッセルのドイツ人労働者協会で行った講演をまとめたものであるが、2月革命とその結果起こった
私のベルギーからの強制退去によって、印刷は中断されてしまった。(p18)
・(p18)1848年と49年の「新ライン新聞」の発行と、その後に起きた諸事件とは、私の経済学研究を中断させ、ようやく
1850年になってロンドンで私は再び経済学研究にとりかかることができた。大英博物館にある経済学の歴史に関する膨大
な資料、ブルジョア社会の観察に対してロンドンが与える好立地、最後にカリフォルニア及びオーストラリアの金の発見
とともにブルジョア社会が入り込むようにみえた新たな発展段階、これらのことが、私に全くはじめからやり直して、
新しい材料を批判的に研究し尽くそうと決意させた。
・(p19)これらの研究は、一部は外見上全く無縁な諸学科にまで自ずから入り込む事となり、私はこれらの学科に多少とも
時間を費やさなければならなかった。
・しかし、とりわけ私の自由時間は、生活費を得るために働かなければならないという必要によって削られた。
「ニューヨーク・トリビューン」への寄稿はすでに8年になるが、この寄稿は、本来の新聞通信には私は例外として携わる
だけなので、研究の甚だしい分断を余儀なくさせた。
・とはいえ、イギリス及び大陸における顕著な経済的諸事件に関する論説が私の寄稿の重要な部分をなしていたので、
私は、経済学という本来の科学の領域外にある実際上の詳細事にも精通せざるを得なくなった。
・経済学の分野における私の研究の道筋についての以上の略述は、ただ私の見解が、人がこれをどのように論評しよう
とも、又それが支配階級の利己的な偏見とどれほど一致しないとしても、良心的な、長年にわたる研究成果であることを
示そうとするものにすぎない。
      ロンドン 1859年1月 カール・マルクス   TOP
(唯物史観の定式)及び(マルクスの経歴に関する自己紹介A 2016.7.22(2023.12.13アメーバブログから引用)
第39回各級講師資格試験問題 中級・科学的社会主義(問題と私の解答):(2015年の出題) TOP
(第1問)
「生産力」と「生産関係」、社会の「土台」と「上部構造」、「階級」という用語を使って、科学的社会主義の
社会観・歴史観を説明してください。
(第2問)
資本主義社会では、労働者階級がどのように鍛えられ、どういう点で社会変革の担い手として成長しますか。
簡潔に答えてください。
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私の「答案」:課目(科学的社会主義)第1問
科学的社会主義の社会観・歴史観は、まず第1に、人類社会の経済的発展段階を、原始共産制、奴隷制、封建制、
資本主義と4つに区分し、それぞれ生産力、生産関係の発展段階に照応させて歴史を観ずる世界観である。
当該する社会を経済的な、人間生活の生産・再生産に基礎視角をおいて観る見方で、 経済的諸関係を社会の
「土台」と捉え、政治・宗教・哲学など、その社会のイデオロギー的諸形態を「上部構造」と捉える。そして、
経済的土台にあたる生産手段を握っている(支配している)階級がそれに応じてイデオロギー的諸形態をも支配
するが故に、その生産力に応じて生産関係を支配的に律することになる。
先に示した4つの歴史的発展段階は、生産力の発展がほとんど見られず、人間の労働が、剰余を生まず、他人を
搾取することのない段階が原始共産社会であり、他人をまるごと私有するのが奴隷制社会である。奴隷が生産した
生産物は、そのまま奴隷主の所有となり、奴隷は奴隷所有者に生活の資を得るのみである。
封建制は、土地を領主が所有し、農民は領主のもとで働くか年貢を納める。この場合、農具などは農民が所有して
いる。ここでの階級闘争は、日本の場合、多くは百姓一揆の形態をとった。
資本主義社会は、労働力商品を売るしか生産手段を持たない労働者が、自分では働かない、生産手段の所有者で
ある資本家のもとで働くことによって生計の資を得る社会であり、この関係は、賃労働−資本関係としてその生産
関係が特徴づけられる。
資本主義社会では、全てが商品形態となって現れ、ついに人間までが労働力”商品”とみなされ、労働力市場を
形成することになる。
 科学的社会主義の歴史観では、しかし、原始共産社会を除いて、奴隷制、封建制、資本主義の各段階を生産力の
発展段階に照応して、生産関係を捉えるのであるが、資本主義社会をもって、最後の階級社会とみる。
それは、生産手段の私有制の最後の形態だからである。
 原始共産社会を否定して生産手段の私有制に基づく階級社会の出現を、第1の否定とするならば、生産手段の共有
に基づく高次の共産主義社会は、その私有制(資本主義)を否定した段階に到達することを意味する為に、
”否定の否定”とも呼ぶこともできる。
マルクスは、必然の国から自由の国への人類の躍入とも資本論でこの変化(変革)を特徴づけている。
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(2015年の出題)
第39回各級講師資格試験問題  中級・科学的社会主義(第2問)
資本主義社会では、労働者階級がどのように鍛えられ、どういう点で社会変革の担い手として成長しますか。
簡潔に答えてください。
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私の「答案」:(第2問)
「資本主義社会では、資本の本性である(資本の)”自己増殖”の為に、(労働者階級にとっては)資本の搾取を抑える
「社会による強制」の実現を求める階級闘争が必然化する。資本の果てしない搾取欲の為に、労働者の健康も寿命までも
破壊しようとするのは、資本が剰余価値の獲得をめざす事がその本質的衝動として持っているからである。
労働力商品は、唯一、その消費によって自己の再生産だけでなくそれ以上の新たな価値を生産するからであり、資本の
自己増殖は、この労働者階級が生み出す剰余価値を無償で手に入れることができるからである。
資本家はこの”自己増殖”の衝動の他にも、自由競争によって、外的にも強制されている。
この資本主義的生産様式の中にあって、労働者階級は労働日の制限(工場)法を、資本の”責め苦”から、自分たちと同族
を守るために、勝ち取ってきた。国家をも巻き込んだ「社会的バリケード」を形成し(てき)たのである。
労働者たちは、単純協業やマニュファクチュア段階から集団化し、(資本主義の機構そのものによって)結合労働力として
鍛えられ、機械制大工業の段階では、労働者集団が支配的(階級的)な主体として登場する。労働組合の結成など、自分
たちと同族を守る資本との階級闘争の中から、社会変革の担い手として成長してきたし、成長する必然性が存在する。
マルクスが共産党宣言で言うように、その為には労働者が階級として団結し、政治権力の座にのぼらなければならない。
国会や議会が有効に存在する国々では、選挙を通じて議会の多数を得ての権力奪取も考えられる。
労働者階級が階級闘争を通じて真に階級搾取のない社会に変革する”道”がここには開かれている。」

(※若干、用語など訂正したところがあります。 2019.8.12) TOP
マルクスの経済表 マルクスからエンゲルスへ 1863.7.6TOP
   経済表の解説(アメブロ掲載分)はこちら参照  TOP
マルクスの自筆「経済表」について TOP
マルクスの自筆「経済表」日本語訳は自筆の下段を参照してください。
第一部門は生活手段、第二部門は機械と原料(生産手段)、第三部門は総再生産です。
総再生産過程の経済表は、生産物を巡る社会的諸階級の相互関係が一目瞭然と判ります。
マルクスが言うようにこの経済表は、「資本論」最後の章に総括として現れるもので、資本主義的生産様式を
とる歴史的社会の鑑といえるものとです。銘記する所以です。
(日本語訳は下段参照)
これは前回のマルクス経済表の解説で「資本論について関する手紙」P129〜P134に翻訳があります。
ここでは、関本さんのブログから拝借しました。
以下、マルクスの経済表の解説でエンゲルスに宛てた手紙から抜粋です。(1863.7.6
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(中略)
  同封の「経済表」は僕がケネの表の代わりに立てるものだが、もし君がこの暑さのなかでもできるなら、
いくらか念入りに見てくれたまえ。そして、なにか疑念があったら知らせてくれたまえ。
これは総生産過程を包括している。
  君も知るように、アダム・スミスは「自然価格」または「必要価格」を賃金と利潤(利子)と地代と
から構成している−したがって全体を収入に解消させている。この不合理はリカードにも伝えられている。
といっても、リカードは地代をたんに偶然的なものとしてカタログから除いてはいるのだが。
ほとんどすべての経済学者がこれをスミスから受け継いでいる。そして、これに反対する経済学者らはまた別の
不条理に陥っている。
  スミス自身も、社会にとっての総生産物をたんなる収入(年々消費されうるもの)に解消させることの
不合理は感じていて、他方で各個の生産部門については価格を(原料や機械など)と収入(労働、利潤、地代)
とに分解している。
そうすると、社会は毎年新しく資本なしで始めなければならないことになるだろう。
  ところで、僕の表について言えば、これは僕の本の最後のうちの一章のなかに総括として載せるものが、
そこでは理解のために次のことが必要だ。
(1)数字はどうでもかまわない。何百万かを意味するものとしてもよい。
(2)ここで生活手段というのは、消費財源の中に年々はいって行く(または、この表からは除外されている
   蓄積がなければ消費財源のなかにはいりうるであろう)すべてのもののことだ。

  部類1(生活手段)では全生産物(七〇〇)が生活手段から成っており、したがって当然のこととして不変
  資本(原料や機械やなど)のなかにははいっていかない。
  同様に部類2では全生産物が、不変資本を形成する諸商品から、すなわち原料や機械としてふたたび再生産
   過程にはいっていく諸商品から、成っている。
(3)上昇線は点線になっており、下降線は直線になっている。
(4)不変資本は、原料や機械から成っている資本部分だ。可変資本は、労働と交換される資本部分だ。
(5)たとえば農業などでは同じ生産物(たとえば小麦)の一部分は生産手段を形成するが、他の一部分
   (たとえば小麦)はふたたびその現物形態のままで(たとえば種子として)原料として再生産にはいっていく。
    だが、これは少しも事柄を変えるものではない。というのは、このような生産部門は、一方の属性から見れば
  部類2のなかに現われ、他方の属性から見れは部類1のなかに現われるからだ。
(6)そこで、全体の要点は次のようになる。

 部類1。生活手段。労働材料と機械(すなわち機械のうち損耗分として年間生産物のなかにはいって行く部分。
機械などの未消費部分は表のなかには全然現われていない)は例えば四〇〇ポンドに等しい。 労働と交換された
可変資本=一〇〇は三〇〇として再生産される。というのは、労賃を生産物で補填し、二〇○は剰余価値
(不払剰余労働)を表わすからだ。生産物は七〇〇であって、そのうち四〇〇は不変資本の価値を表わしているが、
この不変資本は全部が生産物のなかに移っており、したがって補填されなければならない。
 可変資本と剰余価値との割合がこのようになっている場合には、労働者は労働日の三分の一では自分のために労働
し、三分の二では彼の天成の目上(natural speriors)のために労働する、ということが仮定されている。
 つまり、一〇〇(可変資本)は、点線で示されているよぅに、労賃として貨幣で支払われる。労働者はこの一〇○
をもって(下降線で示されているように)この部類の生産物すなわち生活手段を一〇〇だけを買う。
こうしてこの貨幣は第一部類の資本家階級に還流する。
 剰余価値二〇〇は一般的な形態では利潤だが、これは、産業利潤(商業利潤を含む)と、さらに、産業資本家が
貨幣で支払う利子と、彼がやはり貨幣で支払う地代とに分かれる。
この産業利潤や利子や地代として支払われた貨幣は、それをもって第一部類の生産物が買われることによって、還流
する(下降線で示されている)。
こうして、第一部類の内部で産業資本家によって投ぜられたすべての貨幣は、生産物七〇〇のうちの三〇〇が労働者
や企業家や金持ちや地主によって消費されるあいだに、彼のもとに還流する。第一部類に残っているのは、生産物の
過剰分(生活手段での)四〇〇と不変資本の不足分四〇〇とである。

 部類2。機械と原料。
この部類の全生産物は、生産物のうち不変資本を補填する部分だけではなく、労賃の等価と剰余価値とを表わす部分
も、原料と機械とから成っているので、この部類の収入は、それ自身の生産物においてではなく、ただ第一部類の
生産物でのみ実現されることができる。
しかし、ここでなされているように蓄積を除外すれは、第一部類が第二部類から買うことができるのは、ただ第一
部類がその不変資本の補填のために必要とするだけの量であり、他方、第二部類はその生産物のうちただ労賃と剰余
価値と(収入)を表わす部分だけを第一部類の生産物に投ずることができる。こうして、第二部類の労働者たちは
その貨幣=一三三1/3を第一部類の生産物に投ずる。
同じことは第二部類の剰余価値でも行なわれる。これは、第一部類におけると同様に、産業利潤と利子と地代とに
分かれる。こうして、貨幣での四〇〇が第二部類から第一部類の産業資本家のもとに流れて行き、そのかわりに第一
部類はその生産物の残り=四〇〇を第二部類に引き渡す。
  この貨幣四〇〇をもって、第一部類はその不変資本=四〇〇の補填のために必要な物を第二部類から買い、
このようにして第二部類には、労賃と消費(産業資本家自身や金持ちや地主の)に支出された貨幣がふたたび流れ
こんでいく。そこで、第二部類にはその総生産物のうち五三三1/3が残っており、それをもって第二部類はそれ自身
の損耗した不変資本を補填する。
  一部分は第一部類の内部で行なわれ一部分は部類1と2とのあいだで行なわれる運動は、同時に、どのように
して両部類のそれぞれの産業資本家たちのもとに、彼らがふたたび新たに労賃や利子や地代を支払うための貨幣が
還流するか、ということを示している。

 部類3は総再生産を表わしている。
  部類2の総生産物はここでは全社会の不変資本として現われ、部類1の総生産物は、生産物のうちの、
可変資本(労賃の財源)および互いに剰余価値を分け合う諸階級の収入を補填する部分として、現われる。
  ケネの表をその下に置いておいた。これはこの次の手紙で簡単に説明しよう。
  失敬
                        君の    K・M
 ついでに。エトガル・バウアーは職を得た − プロイセンの新聞局で。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−TOP
以上。
出所・経済表と解説:関本洋司氏の下記ブログ参照
http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/24000
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なお、ケネー経済表についての詳細は、平田清明氏の 
「経済科学の創造」岩波をご覧ください。またWEB解説については、範式は
http://members3.jcom.home.ne.jp/study-capital/hokoku-2/083b.html
解説は下記をご参照ください。
http://www.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/59_4_2.pdf
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ケネー経済表のマルクスによる解説(@)TOP
出典は(マルクス・エンゲルス選集第14巻。『反デューリング論』・2篇第10章「批判的学史」)(@p416〜p425)
・p416マルクスは、『反デューリング論』・2篇第10章の「批判的学史」の中で、次のようにケネーの「経済表」を紹介
している。
---------------------------------------------------------------------------------TOP
※フランソワ・ケネー(1694〜1774)経済表(1758)/※アダム・スミス(1723〜1790)国富論(1776)

「重農学派は、ケネーの『経済表』(1758年)という1つの謎をわれわれに残した。・・・
一国の富全体の生産と流通とに関するフィジオクラート(重農主義者)の観念を一目で分かるように示す筈であったが、
・・・この表は、その後の経済学会にとっては極めて分かりにくいものであった。」と。
・p420重農主義者の理論では、社会は次の3階級に分かれている。 (1)生産的な、つまり現実に農業で働いている階級
−借地農業者と農業労働者。彼らが生産的と呼ばれるのは、その労働がある剰余即ち、地代を残すからである。
(2)その剰余を自分の物とする階級。地主やこれに従属する人々、国王や国家によって支給を受ける官吏、そして
最後に10分の1税の横領者という特殊な性質を持った寺院をも含む。」
・p420簡単にする為に、第一の階級を「借地農業者」と呼び、第二の階級を「地主」、第三は、商工業階級、または
不生産階級である。不生産というのは、重農主義者の見解によれば、彼らは生産階級から提供された原料に対して、ただ
彼らが生産階級から提供された生活資料を消費するのと同じだけの価値しか付け加えないからである。
・そこでケネーの『経済表』が明らかにしなければならないことは、一国(フランス)の年々の総生産物が、これら3つの
階級の間にどのように流通し、また年々の再生産にどのように役立つか、ということである。
・p421『経済表』の第一の前提は、ケネーの時代の意味での借地農制度とそれに伴う大規模農業とが一般に普及している
こと。その際、手本となったのは、ノルマンディ、ピカルディなどフランスの二三州である。
・従って、借地農業者は農業の現実的指導者として現れ、『経済表』では生産的階級全体を代表し、地主に対して貨幣
地代を支払うのである。借地農業者総体は100億リーブルの投下資本または資産を持つものとされ、その内の五分の一
つまり20億リーブルは、年々補填される経営資本だとされているが、この見積もりは、前記諸州の最もよく耕作されて
いる借地農場を標準としたものである。
・p421その他の前提は次の通りである。(1)簡単化の為に、価格は不変で、単純再生産が行われる。(2)ただ1階級だけの内部
で行われる流通は除外され、単に階級間の流通だけが考慮される。(3)経営年度内に階級から階級へと行われる一切の売買は、
ただ一個の総額に総括されている、ということである。
・最後に、ケネーの時代にはフランスでは、・・・農家本来の家内工業は、食料品以外の自分たちの必需品の大部分を調達した
のであって、従ってここでは、それが農業の当然の付属物として前提されている、ということを記憶しておかなければなら
ない。
・p421『経済表』の出発点は、総収穫、つまり、『経済表』のすぐ上部に示されている年々の土地生産物から成っている
総生産物、またはその国、−ここではフランス−の「総再生産」である。この総生産物の価値量は、商業諸国民のもとでの
土地生産物の平均価格に従って評価され、50億リーブルとなっているが、この額は、当時の・・・フランスの農業総生産物の
貨幣価値をほぼ言い表している。
・p422だから、50億の価値をもつこの総生産物は、生産的階級の、つまり、百億の投下資本に対応する年額20億という経営
資本を支出してそれを生産した借地農業者の手中にある。
・経営資本の補填に必要な、それ故また農業に直接従事する一切の人々の生計に必要な、農業生産物、つまり生活資料や
原料等は、現物のまま総収穫から控除されて新たな農業生産に支出される。価格の不変と単純再生産が前提されている
から、総生産物のうち控除されるこの部分の貨幣価値は、20億リーブルに等しい。それ故、この部分は一般的流通に入り
込まない。(※)
(※前提(2)により、流通は、それが1階級の範囲内だけで行われる流通は、別々の階級間で行われるのでない限りは、
『経済表』から除外されているからである。)
・p422総生産物から経営資本の補填を除けばあとには30億の剰余が残るが、うち20億は生活資料、10億は原料である。
借地農業者から地主に支払わなければならない地代は、20億である。どうしてただこの20億だけが「純性差物」または
「純所得」の見出しのもとにでてくるかは、やがて明らかになるであろう。
・ところが、50億の価値をもつこの農業的「総再生産」−そのうち30億が一般的流通に入り込む−の他に、『経済表』の
中に示された運動が始まる以前に、なお国民の総「貯蓄」である20億の現金が借地農業者の手中にある。
事情はこうである。・・・
・p423『経済表』の出発点は同時に一経済年度の終点をなすものであって、これに続いて新しい経済年度が始まる。
総生産物のうち流通に入るように定められた部分は、新年度中に他の2階級の間に分配される。だが、これらの一年度全体
にわたって行われる運動は、『経済表』にとっては、・・・一年度全体を一挙に含む行為のうちに総括される。
こうして、1758年の終わりには借地農業者階級が1757年に地代として地主に支払った貨幣つまり20億は、再びこの階級に
流れ帰り、これによってこの階級は、この金額を1759年に再び流通に投げ入れることができるのである。
・p423地代を巻き上げる地主階級は、まず支払いの受取人の役割で現れる。ケネーの前提によれば、本来の地主は20億の
七分の四だけを受け取り、七分の二は政府に、七分の一は税受取人(官吏)の手にはいる。
ケネーの時代、寺院はフランス最大の地主であって、その上なお、他の一切の土地財産から十分の一税を受け取っていた
のである。
・p424「不生産的階級」が一年度に支出する経営資本(年前貸)は、10億の価値をもつ原料である。というのは、道具や
機械などは、この階級自身の生産物の内に入るからである。これらが『経済表』に無関係なのは、専らその階級内部で
行われる商品流通と貨幣流通がこれに関係しないのと同じことである。
・不生産階級が原料を加工商品に転化する労働に対する報酬は、この階級が一部分は直接に生産階級から、一部分は間接に
地主を通じて受取る生活資料の価値に等しい。この階級は、それ自身、資本家と賃金労働者とに分かれるとはいえ、ケネ−
によれば一階級全体として、生産階級と地主階級とのお雇いものである。
・工業的総生産物とそれらの総流通とは、同様にして一個の全体に総括されている。それ故、『経済表』に示された運動の
開始にあたっては、不生産的階級の年々の商品生産高はことごとく彼らの手中にあるということ、従って彼らの全経営
資本、つまり10億の価値をもつ原料が20億の価値をもつ商品に転化され、この半分はこの転形中に消費された生活資料の
価格を表すという事が前提されている。(p425)
(@了)
ケネー経済表のマルクスによる解説(A)(選集14p425〜428)   TOP
・p425こうして、われわれは、『経済表』によって示される運動が開始する際の、3つの階級の経済的地位を知ることが
できた。
・生産階級は、彼らの経営資本を現物補填した後に、まだ30億の農業総生産物と20億の貨幣とを自由にしている。
地主階級は、当初は、生産階級に対する20億の地代請求権をもって現れるにすぎない。不生産階級は、20億の加工商品を
自由にしている。なお、重農主義者の見解では、これら3階級のうち2階級間だけの流通は不完全な流通と呼ばれ、3階級
全体の流通は完全な流通と名付けられている。
・p425『経済表』について。
・第一の(不完全な)流通。借地農業者は、地主に対して、反対給付なしに地主の受け取るべき地代を20億の貨幣で支払う。
そのうち10億で地主は借地農業者から生活資料を買う。こうして、借地農業者から地代として支払われた支出の半分は自分
たちに流れ戻る。
・p426第二の(完全な)流通。地主はその手中に残っている10億の貨幣で、不生産階級から加工商品を買い、この不生産
階級はこうして得た貨幣で借地農業者から同額の生活資料を買う。
・第三の(不完全な)流通。借地農業者は10億の貨幣で不生産的階級から同額の加工商品を買うが、この商品の大部分は、
農業用具やその他の耕作に必要な生産手段から成り立っている。不生産階級は、この同じ貨幣を借地農業者の手に返すが、
それは、彼らが自分たち自身の経営資本の補填の為に10億だけ原料を買うからである。そこで、借地農業者が地代支払い
の為に支出した20億の貨幣は、自分たちの手に戻り、こうして運動は完了した。これによって、「地代として獲得された
純生産物は経済的循環においてどうなるか」という大きな謎も解決されたのである。
・p427(まとめ)この全経過は、たしかに「かなり簡単」である。流通に投じられるのは、借地農業者の手によっては、
地代支払いの為の20億の貨幣と、三分の二が生活資料で三分の一が原料である30億の生産物とであり、不生産的階級の手
によっては、20億の加工商品である。20億の生活資料のうち、その半分は地主とその一味によって消費され、他の半分は
不生産的階級によって彼らの労働の支払いに消費される。10億の原料は、同じ階級の経営資本を補填する。20億の額の
流通加工商品のうち、半分は地主の手にはいり、他の半分は借地農業者の手に入るが、これは借地農業者にとっては、
直接に農業的再生産から得られた、彼らの投下資本に対する利子の、一つの転化形態にすぎない。
・p428ところが借地農業者が地代を支払うために投入した貨幣は、彼の生産物の販売をうじて自分の手に流れ戻るのであり、
これによって同一の循環が次の経済年度には新たに行われうるのである。
(A了)TOP
人間社会における経済的協働(共同)の実態的構造としての(マルクスの経済表) TOP
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杉原千畝広場 資本論 私のmarkism(政治経済評論) 古典学習会(空想から科学へ)
古典学習会(二)(賃金・価格および利潤)SDGs203017ドイツイデオロギー

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